** おすすめコース No.12 さった峠 **

*健脚向けコース  所要時間 2時間半

 JR興津駅 ⇒ 興津川 ⇒ JR踏切 ⇒ 海岸寺 ⇒ さった峠入り口 ⇒ 遊歩道 ⇒
 駐車場 ⇒ 農道 ⇒ 西倉沢 ⇒ 旧東海道の家並み ⇒ 寺尾 ⇒ あかりの博物館 ⇒
 小池邸 ⇒ 旧国1合流 ⇒ 寺尾の歩道橋 ⇒ 旧東海道 ⇒ 今宿 ⇒ JR由比駅

*家族向けコース  所要時間 往復30分(約2km)

 由比側駐車場 ⇒ さった峠遊歩道 ⇒ 終点のベンチより戻る ⇒ 遊歩道 ⇒ 駐車場

*さった峠へ入るコース

上記の海岸寺コース、興津東町公民館の先を入るコース、興津より東名の側道から
山の中を通るコース、由比の倉沢から入るコース、浜石岳より稜線越えで入るコース、
などがあります。

*コースの説明

 JR興津駅より旧国1の信号を左折し、東進する。(なか道からも行ける)
旧甲州道の入り口を通過すると、やがて広い交差点に出る。更に直進し、GSの手前を
斜め左に進み旧興津川橋を渡る。国1と合流する先を左折しJRの踏切を渡る。
つき当たりを右に登って行き、海岸寺と神社の脇を進む。しばらくすると他のコースからの
道と合流する。道標に従って右折すると、やがて休憩舎に着く。ここにハイキングコースの
案内板とお手洗いがある(平成13年に新設)。JR興津駅からここまで50分程の道のり。
 お墓の中を過ぎると、さった峠の入り口になる。
急な坂を登りきると視界が開けて、遊歩道に出ます。ベンチで一休みする。
駿河湾と伊豆半島、富士山の眺めが良い。
ここから先は平坦な道で、カメラポイントと休憩場所が随所にあります。
富士山を見ることが出来れば、貴方は幸運です。やがて駐車場へ到着する。
休憩舎からここまで約30分の道のり。
農道を通って、ミカンとビワ畑の間を西倉沢へ下る。分岐点に出たら、そこを直進します。
 旧東海道の面影が残る家並みを散策。
週末になると、多くのハイカーに出会います。旧道もずいぶん、にぎやかになりました。
家並みが途切れると、小さな峠にさしかかります。ここは眺めが良く、4月になると桜並木が
きれいです。地元では、ここを松原と呼ぶ。これより寺尾地区に入る。
 東海道あかりの博物館と小池邸へ立ち寄り、この先の分岐点へ着いたら山手を見て下さい。
昭和36年頃だったと思います、この山頂から中腹にかけて大規模な地滑りが発生した。
その当時、寺尾山の地滑りを見に来ました。
 旧東海道を更に直進し、つき当たりを右に行くと旧国1に合流する。そこの歩道橋を
渡って、今宿地区に入りJR由比駅へ向かう。JR興津駅から由比駅まで約2時間半の道のり。

*寄り道

駅より旧東海道を更に約2km進むと、由比本陣公園、東海道広重美術館、おもしろ宿場館、
正雪紺屋などがあります。この辺りは、宿場町風に変わりました。

*桜えび魚

桜えび漁は夜に行われ、地元では夜曳(よびき)と言います。船は二艘が組になって漁を
する夫婦船です。桜えびが獲れるのは、富士川沖から大井川にかけての駿河湾です。
世界的にみても大変に貴重な漁場だと聞いています。
 漁は、春と秋の期間に行われ、漁業資源の保護を計っています。
期間中でも月夜の晩は、海面が明る過ぎるので、桜えびが浮上しないため休漁です。
 富士川の河原で素干しされる桜えびは、桜色のジュウタンを敷き詰めたみたいです。
由比漁港では、しらす漁も盛んです。また漁港の広場では、桜えび祭りが行われます。

*車での道案内

興津より東名の側道から山越えで入る方法と、由比側の西倉沢から農道を通る方法がある。
興津側の山道は、狭くて対向車が来るとお手上げになる。通行に注意。
由比の西倉沢にあるJRの踏切を渡り、最初の分岐を左折し急坂な農道を進む。
ミカンとビワ畑の間を登る。ハイカーが多いので通行に注意して下さい。
峠の手前が駐車場です(10台位)。ここが「さった峠遊歩道」のスタートになる。
休日などの行楽日和は、駐車場が満車で入れないことがあります。
 興津川運動場の土手にある駐車場か、その先の河原へ駐車して海岸寺などのコースから
登る方法もある。鮎釣りのシーズンは駐車難です。
お墓の手前にも何台か置けますが、ハイカーのための専用駐車場がありません。
近い将来、駐車場が完備されるといいですね。

*親知らず子知らず

江戸時代の前は、さった峠下の波打ち際を通行するのに、たいへん危険だったそうです。
親も子もなく我先に渡ったことから、「親知らず子知らず」 と言われる。
江戸時代に入ってから、さった山の道を通行するようになった。

これが通説ですが、別の民話が語り継がれて来ました。
以下は、10年ほど前に他界した話し上手な、おばあさんから聞いた民話です。
その後、由比のおじいちゃんからも、同じような民話を聞きました。

 その昔、由比から さった峠を越えて興津へ向かう若者がおりました。
若者は遠い所で長い間、奉公をしていました。帰り道の途中、蒲原に住んでいる親類の
おばさんの家に立ち寄りました。(由比の倉沢と言うこともあり定かでない)
 奉公先での出来事を話しているうちに、すっかり遅くなってしまいました。
辺りは、とっぷりと日が暮れて、提灯がなければ峠越えは出来ません。
おばさんは、「もう遅いから今夜は泊まっていきなさい」と、勧めました。
しかし、おばさんが止めても無駄でした。
若者は提灯を借りて、暗い夜道を由比からさった峠へ向かいました。
 気になった親類のおばさんは、翌朝いそいで興津の家へ行ってみました。
その家には、若者の姿がありませんでした。ふと見ると、若者が着ていた着物がつるくって
ありました。(つるくって・・・・・つるしての方言)
あんたは、この着物をどうしたのかと尋ねて、昨夜のことを話しました。
親は自分の息子だとは知らずに、さった峠の山中で殺し、裸にして峠の岩場から
海に投げ捨てたのでした。
 若者は自分の親が、追い剥ぎをしていることを知りませんでした。

これが本当の話だとすれば、なんと悲しい民話でしょう。
私が少年の頃、興津側の展望台付近に、上が平らで大きな岩がありました。
下を覗くと波打ち際と狭い国道が見えました。辺りは広くなっていて休憩ができた。
今のように展望が効かず、その付近は樹木が、うっそうと茂っていました。
丁度、JRさったトンネルの上になると思います。私の記憶なので正確さが無いかも知れない。
さった峠の道は小学校の頃、遠足のコースになっていました。今のハイキングですね。

*乗合馬車

旧東海道を明治中期から大正初期にかけて、乗り合い馬車が走っていた。
便は蒲原より静岡まで、一日一往復だったとのことです。
倉沢から峠へ登らずに、狭い山下海岸の道を通って興津へ抜けたと話しておりました。
おばあさんの記憶は、驚くほど鮮明で確かなものでした。その他にも色々な古い話を聞く
ことが出来ました。
 徳川慶喜(最後の将軍)は、家の人の案内で何回も山奥へ鉄砲撃ちに出かけたとのこと。
将軍は、あまり鉄砲撃ちが上手でなかったそうな。家の人は鉄砲の名人だった。
当時は将軍から頂いた鉄砲があったとのことでした。
 おばあさん、いいお話をどうも有り難う。長生きをして下さい。
百歳近くなるおばあさんが、雑誌に自分史を寄稿したのを読みますと、
少女期に母と草薙まで乗った乗合馬車が暴走し、江尻の手前にある秋葉さん付近の
民家に突っ込んで止まり、大騒ぎだった事が載っています。

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追記
 おばあさんは平成13年に、99歳でこの世を去りました。畑で採れた野菜を持って
伺うと、たいそう喜んでくれたあの優しい顔を思い出す。ご冥福を祈ります。
品の良い、おばあさんでした。
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*駒の爪跡と さったのお地蔵さん

車道の峠(駐車場より上)から林の中を興津側へ下る。歴史のある古道です。峠より200m行くと
右側に「駒の爪跡」と書いた石碑(鎖で囲ってある)が見えます。その石碑の前にある岩に爪跡が
ある。年輩の方の話によると、爪跡が何個かあったそうです。今は一個だけ保存されている。
これより数百m下り東名の上に出ると分岐点がある。左へ行くとさった峠(車は行き止まり)
分岐を右へ少し行くと二つ目の分岐点がある。右は浜石岳へ行ける登山道(車は行き止まり)
浜石岳までは10km位あり、相当に自信が無いと大変なコースです。
この分岐を東名に沿って下がるとすぐの右側に、さった山東勝院の看板がある。
ここに「さった地蔵」が安置されている。中に入って行きましたが、案内板もなく分かりません。
入り口の右側に幾つかの地蔵さんがあり、奥の方にもありました。
さった地蔵は、本堂の中に安置されていると思われます。

7月23日?に祭りがある。以前は祭りの時に由比から、さった峠を越えて(徒歩)行ったとのこと。
峠を越えて、爪跡がある岩の近くへ行くと「この岩の上で絶対に転ばないように」と、必ず親から
言われたそうです。何か言い伝えがあるのでしょう。

これより東名から少し離れた所を下る。しばらく行くと右側に灯籠がある。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が、ここで わらじ を履き替えたと伝えられている。
更に進むと興津川の東岸の道路に出る。左折して東名のガードを通り興津駅へ向かう。
対岸の52号線へ出てバスで興津駅へ行く方法もある。

   駒の爪跡−−−馬蹄形に1cm位の深さで掘れている
   この峠道−−−地蔵道と呼ばれ古くから利用されていたようです。
   さった地蔵−−−倉沢の浜で小さな地蔵尊が漁網にかかり、引き上げられた。
              それを今のさった山に祀っていた。その後、東勝院に移される。
              3年に1度、開帳される秘仏。

*雑記

倉沢地区に何軒か親戚があり、ここの道は用事のため車で良く通ります。
昭和49年の七夕豪雨の時は、旧東海道が土石流で埋もれてしまいました。
JRと国1が土砂でストップしてマヒ状態となり、清水から倉沢へ自転車で行き、土砂の
片づけを手伝いました。
コースの興津寄り下側に、絵になるような形の良い松が、岩の間から生えていました。
今では、その松も枯れ死してしまいました。
今日(’00.05.20)は、かって無い好天気に恵まれ、気に入った写真が撮れました。
真っ青な空と真っ白な富士山、それに紺碧の海?のコントラストが素晴らしかったです。
富士山を見慣れている私でも感動するんですから、遠方より来たハイカーは、私以上に
この絶景を感激したことと思います。さった峠は身近なコースとして、よく出かけます。
興津側からのコースは、富士山を真正面に眺めて歩けるからお勧めです。

*コース途中の標識について

由比側と峠のコースに多くの案内板と道標が設置され、戦国時代から江戸期までの
歴史を知ることができる。
 興津側からの道標が少なく、地域外から訪れる不案内のハイカーに配慮が必要と
思っていた。最近になってコース途中に多くの道標が設置された。登山道入り口の手前に
立派な休憩舎、お手洗い、ハイキングコース案内板が平成13年に新設されました。
これで遠方から訪れる人達にも分かりやすい。

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