車返霊場・本門法華宗
薬王山 本光寺 to TOP


〒410-0849 静岡県沼津市本字千本1910-185

TEL055(962)2403・FAX055(951)5112

   開山 日蓮大聖人

    開基 轉阿闍梨日性聖人

     当山は、宗祖日蓮大聖人と深い御縁を持つ「車返の里」(現在の三枚橋付近)に生まれた由緒
    ある霊跡寺院です。文永十一年(一二七四)五月十四日、日蓮大聖人は鎌倉より身延へ隠棲の際、
    車返の里に宿泊されました。さらに、弘安五年(一二八二)十月二十三日、池上にてご入滅の後の
    大聖人の尊骨を見延に奉送の砌、再びお宿にされた。この縁故により草創された法華道場が
    車返霊場本光寺です。
     旧檀主関家の系図に「日蓮大聖人が、山王神社にて説法された際、土地の古老勝地、関、斉藤、
    井田 四人が掛け合い、世話人となり一寺建立を申し立てた。大聖人は、喜ばれ年々法華経を流布
    せよと山号を幼名より薬王山とし、寺号は本門本光の意を取り本光寺と定められた」と記してあります。
      大聖人は、岡宮日法聖人に後を託されました。日法聖人の弟子が轉阿闍梨日聖人で三枚橋城
    (観潮城)城主景山左京亮基弘の三男で、永和元年(一三七五)光長寺西之坊より入寺、本光寺開基
    となりました。第五世日勢上人の代、天文四年(一五四五)八月武田信玄の軍が駿河に侵入、衆徒は
    大原に逃げて越年しました。第七世日出上人の代、江戸時代沼津城築城の際、車返の地より旧境内
    地八幡町に移転再興しました。八幡町由来の八幡坊がありました。
     第三十六世日英上人の代、昭和二十三年市当局の移転の強要があり、二年後歴史ある八幡の地
    より千本の現在地に移転しました。

     沼津千本松原古甲州街道(塩の道)を千本公園から西に向かって、五百メートルの山門を入ると
    右手の松林の中、藤島亥治郎教授(芸術院恩賜賞受賞)の設計・デザインによる客殿。
    左は平成四年に建てられた庫裏、参道を進むと昭和二十五年建立の本堂、さらに参道は墓苑に向いて
    鐘楼門、梵鐘の下をくぐると、墓内参道となり、石灯籠につづいて無縁様、桜の木の元には歴代廟碑が
    香りの煙が絶えることのないたたづまい。そして北に富士山、東に箱根連山、南に西に千本松林をいた
    だいた寺院にふさわしい所に位置しております。 

 本堂 昭和25年建立
入母屋(いりもや)形式の起(ムクリ )屋根。沼津御用邸の西邸もこの形式の屋根が見られ、当山の歴代の住職や、棟梁鈴木辰蔵氏が御用邸に関わりが深いので、その影響があったと思われます。
 鐘楼 昭和45年、斉藤平四郎氏より寄贈され、その年の12月13日撞き初めが行われた。梵鐘は藤島亥治郎教授の設計によります。縦襷の七文字のお題目は日舜上人の御揮毫によっています。
 無縁墓地 
昭和25年、八幡の地(江戸時代初期A昭和25年)よりこの地に移ったとき、無縁様の墓石を当山参道に設置し、大切な霊として日々お参りいたしております。その中には江戸時代の大谷友衛門の墓もあります。
 客殿 昭和46年、日蓮聖人御生誕750年慶讃を記念し、建立された。藤島亥治郎教授による設計・監理された真壁造りの本格的木造建築で、庭園も客殿にふさわしい日本式の庭園です。

  日蓮大聖人御尊像
 天文14年(1545)八月の武田信玄の軍団により被災された時も、衆徒と共に難を逃れた大切なお頭と、江戸時代
初期、三枚橋の地(1375年A1600年頃)から八幡の地( 沼津城西の要として移された)に移った頃、修復されたお身体からなっており、その後、先の戦災の中も大切に守られてきた御尊像です。
  波切不動(1979)
 彫刻家・和田金剛(昭和45年文部大臣賞受賞)先生が、昭和54年の日展出品作のうち唯二つの男体像のうちの一体の木像です。
日舜聖人直筆の大曼荼羅
当山第35世(明治26年普山)。本山光長寺57世(大正5年普山)の直筆による畳一帖大のお曼荼羅で寺宝として、大切にされているものです。

  夏期仏教講座
  毎年8月、日英聖人の喜寿を記念して開講されて以来、毎年続けられている講座で、仏教について教徒はもとより、市民に広く開かれた講座であります。今年は8月24日に開催されました。講師は金岡秀郎先生で講座は休憩無しの2時間15分にも及びました。感動がいつまでも残る講座でした。私はこの講座を聞きに来ない人は損をしていると思います。余計なお世話かもしれませんが来年は是非お出かけ下さい。
  御会式
  法華宗信徒にとっては、御会式法要は何より大切な報恩法要といわれ、毎年10月8日法要が行われます。
 本堂での法要の儀の後、日崇上人(当山39世)が復活された萬燈太鼓を八日夜、八幡町、上土町、町方町、下本町を萬燈太鼓行列を行います。


当 山 年 間  行 事
年 初 会 初 講  1月8日     午前11時
春期彼岸法要  3月春分の日 午後2時
釈尊降誕会花祭り  4月8日     午後11時
盂蘭盆会施紀餓鬼法要  7月16日午後2時・午後7時
夏期仏教講座  8月下旬
秋期彼岸法要  9月秋分の日 午後2時
御 会 式 法 要 10月5日     午後2時
萬燈行列練供養 10月5日     午後6時
除 夜 法 要 12月31日  午後11時30分



  5世紀の頃、この地は珠琉河国(するがのくに)と呼ばれ、7世紀の後半に駿河と言われるようになりました。
狩野川、黄瀬川の堆積作用によってできた土地で、この地域の東海道は山側の根方路と海側の浦方路と浮島
沼をはさんで、二路在り鎌倉時代になると浦方路が主力となりました。
  現在の寺の前の道は、甲州街道(塩の道)と言われ、沼津の塩を甲府に送る重要な道となりました。
この千本松原は、天正八年(1580)駿河に兵を進めた武田軍と迎え撃つ北条軍とが戦った地で、千本沖開戦や
松原での激しい地上戦が行われたところです。その時、両軍に多数の死傷者が出、この戦いでの死者の首を葬った
のが明治35年に発見され供養塔が建立されました。それが今の首塚で、現在、当山上人と地元(市道長寿会)の
皆さんによって毎年供養際が行われています。
  寺より少し西に向かったところに六代松という平家物語にます、平維盛の長子六代がこの地で頼朝から許しを得て  
命拾いをしたところがあり、歴史上重要な由来が多く残っている地域であります。


  to TOP

作成中 2003.3.24  



本光寺青年部 MIKI.S