
〒410-0849 静岡県沼津市本字千本1910-185
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開山 日蓮大聖人
開基 轉阿闍梨日性聖人
当山は、宗祖日蓮大聖人と深い御縁を持つ「車返の里」(現在の三枚橋付近)に生まれた由緒
ある霊跡寺院です。文永十一年(一二七四)五月十四日、日蓮大聖人は鎌倉より身延へ隠棲の際、
車返の里に宿泊されました。さらに、弘安五年(一二八二)十月二十三日、池上にてご入滅の後の
大聖人の尊骨を見延に奉送の砌、再びお宿にされた。この縁故により草創された法華道場が
車返霊場本光寺です。
旧檀主関家の系図に「日蓮大聖人が、山王神社にて説法された際、土地の古老勝地、関、斉藤、
井田 四人が掛け合い、世話人となり一寺建立を申し立てた。大聖人は、喜ばれ年々法華経を流布
せよと山号を幼名より薬王山とし、寺号は本門本光の意を取り本光寺と定められた」と記してあります。
大聖人は、岡宮日法聖人に後を託されました。日法聖人の弟子が轉阿闍梨日聖人で三枚橋城
(観潮城)城主景山左京亮基弘の三男で、永和元年(一三七五)光長寺西之坊より入寺、本光寺開基
となりました。第五世日勢上人の代、天文四年(一五四五)八月武田信玄の軍が駿河に侵入、衆徒は
大原に逃げて越年しました。第七世日出上人の代、江戸時代沼津城築城の際、車返の地より旧境内
地八幡町に移転再興しました。八幡町由来の八幡坊がありました。
第三十六世日英上人の代、昭和二十三年市当局の移転の強要があり、二年後歴史ある八幡の地
より千本の現在地に移転しました。

沼津千本松原古甲州街道(塩の道)を千本公園から西に向かって、五百メートルの山門を入ると
右手の松林の中、藤島亥治郎教授(芸術院恩賜賞受賞)の設計・デザインによる客殿。
左は平成四年に建てられた庫裏、参道を進むと昭和二十五年建立の本堂、さらに参道は墓苑に向いて
鐘楼門、梵鐘の下をくぐると、墓内参道となり、石灯籠につづいて無縁様、桜の木の元には歴代廟碑が
香りの煙が絶えることのないたたづまい。そして北に富士山、東に箱根連山、南に西に千本松林をいた
だいた寺院にふさわしい所に位置しております。
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本堂 昭和25年建立 入母屋(いりもや)形式の起(ムクリ )屋根。沼津御用邸の西邸もこの形式の屋根が見られ、当山の歴代の住職や、棟梁鈴木辰蔵氏が御用邸に関わりが深いので、その影響があったと思われます。 鐘楼 昭和45年、斉藤平四郎氏より寄贈され、その年の12月13日撞き初めが行われた。梵鐘は藤島亥治郎教授の設計によります。縦襷の七文字のお題目は日舜上人の御揮毫によっています。 |
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無縁墓地 昭和25年、八幡の地(江戸時代初期A昭和25年)よりこの地に移ったとき、無縁様の墓石を当山参道に設置し、大切な霊として日々お参りいたしております。その中には江戸時代の大谷友衛門の墓もあります。 客殿 昭和46年、日蓮聖人御生誕750年慶讃を記念し、建立された。藤島亥治郎教授による設計・監理された真壁造りの本格的木造建築で、庭園も客殿にふさわしい日本式の庭園です。 |
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日蓮大聖人御尊像 天文14年(1545)八月の武田信玄の軍団により被災された時も、衆徒と共に難を逃れた大切なお頭と、江戸時代 初期、三枚橋の地(1375年A1600年頃)から八幡の地( 沼津城西の要として移された)に移った頃、修復されたお身体からなっており、その後、先の戦災の中も大切に守られてきた御尊像です。 |
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波切不動(1979) 彫刻家・和田金剛(昭和45年文部大臣賞受賞)先生が、昭和54年の日展出品作のうち唯二つの男体像のうちの一体の木像です。 日舜聖人直筆の大曼荼羅 当山第35世(明治26年普山)。本山光長寺57世(大正5年普山)の直筆による畳一帖大のお曼荼羅で寺宝として、大切にされているものです。 |

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夏期仏教講座 毎年8月、日英聖人の喜寿を記念して開講されて以来、毎年続けられている講座で、仏教について教徒はもとより、市民に広く開かれた講座であります。今年は8月24日に開催されました。講師は金岡秀郎先生で講座は休憩無しの2時間15分にも及びました。感動がいつまでも残る講座でした。私はこの講座を聞きに来ない人は損をしていると思います。余計なお世話かもしれませんが来年は是非お出かけ下さい。 |
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御会式 法華宗信徒にとっては、御会式法要は何より大切な報恩法要といわれ、毎年10月8日法要が行われます。 本堂での法要の儀の後、日崇上人(当山39世)が復活された萬燈太鼓を八日夜、八幡町、上土町、町方町、下本町を萬燈太鼓行列を行います。 |
| 当 山 年 間 行 事 | |
| 年 初 会 初 講 | 1月8日 午前11時 |
| 春期彼岸法要 | 3月春分の日 午後2時 |
| 釈尊降誕会花祭り | 4月8日 午後11時 |
| 盂蘭盆会施紀餓鬼法要 | 7月16日午後2時・午後7時 |
| 夏期仏教講座 | 8月下旬 |
| 秋期彼岸法要 | 9月秋分の日 午後2時 |
| 御 会 式 法 要 | 10月5日 午後2時 |
| 萬燈行列練供養 | 10月5日 午後6時 |
| 除 夜 法 要 | 12月31日 午後11時30分 |

5世紀の頃、この地は珠琉河国(するがのくに)と呼ばれ、7世紀の後半に駿河と言われるようになりました。
狩野川、黄瀬川の堆積作用によってできた土地で、この地域の東海道は山側の根方路と海側の浦方路と浮島
沼をはさんで、二路在り鎌倉時代になると浦方路が主力となりました。
現在の寺の前の道は、甲州街道(塩の道)と言われ、沼津の塩を甲府に送る重要な道となりました。
この千本松原は、天正八年(1580)駿河に兵を進めた武田軍と迎え撃つ北条軍とが戦った地で、千本沖開戦や
松原での激しい地上戦が行われたところです。その時、両軍に多数の死傷者が出、この戦いでの死者の首を葬った
のが明治35年に発見され供養塔が建立されました。それが今の首塚で、現在、当山上人と地元(市道長寿会)の
皆さんによって毎年供養際が行われています。
寺より少し西に向かったところに六代松という平家物語にます、平維盛の長子六代がこの地で頼朝から許しを得て
命拾いをしたところがあり、歴史上重要な由来が多く残っている地域であります。
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作成中 2003.3.24
本光寺青年部 MIKI.S