Wanted!
その1:現東田組屋台資料作成に伴うお願い
平成16年は、当東田組の屋台上棟50周年の節目の年にあたります。
そこで、東田組屋台50周年を紀念いたしまして、東田組屋台資料を作成したいと考えております。
作成当時の資料や東田町の歴史についていろいろ調査しているのですが、なにぶん手持ちの資料が少なく、このままでは推定および憶測のままで調査が完了してしまう部分が多く出てしまいます。
そこで、申し訳ございませんが、皆様の中で東田組の屋台(現行の屋台はもちろん、戦前の屋台や後述の「文太郎屋台」についても)・東田町の歴史(ことに凧揚祭につきまして)の情報や資料を拝見させていただけないでしょうか?
さしたることは出来ないかもしれませんが、お気持ちに対するお礼はさせていただくつもりです。
ことに、建造時の資料や、彫刻師・意匠に関しての情報をお待ちしています。
その2:東田町旧屋台についての情報提供のお願い
まず、この屋台の画像をご覧下さい。

提灯には「東田組」とありますが、ずいぶんと小ぶりで、彫も少ない屋台です。
この屋台は、昭和25〜29年ごろ、東田組で実際に引かれていた屋台です。
終戦直後から「凧」が復活する中で、昭和20年代前半の東田組は掛塚の曳舞台を借用し、馬込橋から町内までの間を曳き回していたそうですが、昭和25年ごろ、当時の東田町の篤志家が、「近所でも屋台が復活してきたし(松江や馬込のことと思われます)、東田町も屋台を作ろう!町で造らないなら俺ひとりでも」と、自治会の反対を押し切って作った屋台だそうです(その後、昭和二十九年五月一日に現在の東田組屋台が上棟されています)。
この屋台のことについて調べているのですが、昔の町内を知る人も減り、この屋台が今どこでどうしているか、まったく分かりません。
そこで情報をいただきたいのは、
- この屋台の製作者(棟梁や彫師)。
- どのような彫物が施されていたか?(彫りはほとんどないようですが、とりあえず)
- この屋台のその後(どこに行ったかなど)
ご存知の方、どんなことでもいいので教えてください。
ちなみに当方で分かっているのは、
- 当時、費用を出した篤志家の名前を取って「文太郎さんが作った屋台」と言われていたらしい。
- 正面欄間には、彫刻の代わりに「東田組」と彫った板が嵌めてあった。(この画像の元の写真でも確認できます)。
- 浜北のある町に買われていった(転売あるいは廃棄された可能性もある)。
と、これぐらいです。小さい屋台とはいえ、ぜひどこかで生きていてほしいものです。
情報をお持ちの方のメールをお待ちしております。
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