東田町ってどんな町?

 東田町は浜松駅から徒歩5分くらいのところにある、小さな町です。

「ああ、田町の東側にあるから東田町ね。」……まあ、外れてはいませんが、大当たりでもないので、少し補足。
 浜松駅を広小路沿いに北へ歩いていくと、中部公民館(クリエート浜松)があります。
 向かいには県西部総合庁舎・情報センターと、官庁街の様相を呈してきつつある地域がありますよね。
 この一帯からほぼ東側が、わが東田町です(西側も一部そうですが)。
 その昔は、大正元年開通の軽便鉄道奥山線の駅がありました。近所の板屋町・新町・松江町が問屋と倉庫の街で、物流の拠点であったとすれば、東田町は浜松から北遠地方への交通の拠点と言ったところですね。かつては、浜松有数の老舗の旅館があり、メインストリートはその旅館の名前を取って、「春雨通り」と呼ばれていました。(この道は、今の市営東田町駐車場のあたりから、浜松八幡宮へ抜けていましたが、今は残っていません)。
 大正7年に東尋常小学校(今の東小学校)が移転してきて、戦前まで東小は東田町にありました(ちなみに東小は戦後に専売局跡地、今の静岡文化芸術大のあたりに移転、そして数年前に今の場所に来ています。戦前の東小の跡地は労政会館になり、労政会館が東伊場に移転した後は……えーっと、今は鰻屋さんがあります……諸行無常……)。
 その「東田町」が出来たのは大正14年の地籍整理
(行政区画としては、の話です。地域としてはそれより以前から「東田町」という「町」意識はあったようです)。
 当時の常盤、馬込、八幡、田町の一部を合わせて、今の東田町が出来ました。田町と同じく、田町稲荷(分器稲荷)の氏子であったことから、「東田町」の呼び名と、凧印の宝珠の紋が今でも使われています。でも、田町に接している箇所は、とても少ないんですよ。新聞社系のタウン情報誌が第一通りの東端周辺を「東田町エリア」と間違えて表記していることがありますが、あそこは板屋町。本当の東田町はもうちょっと北です。
 あちこちに倉庫が立ち並び、倉庫前の広場が子供たちの遊び場でした。個人的な話で済みませんが、特に僕は、鈴与の繊維関係の倉庫が思い出に残っています。
 昭和42年に奥山線が廃線になってからは、奥山線東田町駅周辺は遠州鉄道馬込駅のスイッチバックからの通過地点として、石炭置き場がしばらく残っていました。また、駅にも近い下町として、狭い町ながらも一時は戸数200戸を数えていました。
 浜松市の中心街区再開発により戸数が激減。昔をしのぶ道路もほとんど無くなってしまいましましたが、官庁街の転入、新しいビル・マンションの建設ラッシュにより、いま、「新しい東田町」に生まれ変わりつつあります。



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