酒上不埒の 平成17年の「凧」


 はじめに
 担い手にとって、「祭」とは何か?
 そう問われたとき、皆さんはどう答えるでしょうか?
 毎年思うのです。「祭は楽しい、しかし決して面白おかしいものではない。」
 苦痛の向こうにある快感、というと何やらマゾヒスティックでどうかとも思いますが、担い手である我々は、面白おかしさよりも、むしろ祈るがごとき念を毎年の「凧」に込めて行っています。
 「担い手の当日の状況を伝え、今後の凧揚祭がどうあるべきかを考えるのは『凧』HPの管理人の義務であろう」と思い、この日記を載せています。

 (凡例)

 それでは、ご笑覧ください。

 なお、この日記特別篇へのご意見、ご感想はへお願いします。
けれど、スパムや嫌がらせメールは送らないでね。

 それから、「以前はどーだったの?」と言う方は、15年の当日日記14年の当日日記13年の当日日記をご覧下さい。

5/2 晴れ

 今年は2日が月曜、6日が金曜。前後とも1日だけ娑婆の仕事があると言うのは結構ややこしい。
 それでも「凧」はやって来る。それは僕たち担い手にとって「神聖にして荒ぶる3日間」である。
 今日はその前夜祭……もとい、お祭りを翌日に控えた第2分団のお散歩である。
 娑婆の仕事が少々残業気味になり、仕事を済ませるために出先から自分のデスクへ。
 向こう側のデスクでは当日日記の常連、HO町のN君が多少いらいらした面持ちでPCを眺めている。
 「早く帰らないといけないんじゃないの?」
 「そりゃそうなんですけれどね、6日の仕事の仕込をやっておかないと『祭りだから仕事をサボった』って言われかねないから」
 「その点R町のKさんは要領がいいからねぇ、もう定時には帰ったよ」
 「うーん、仕事がうまい」……って娑婆の仕事を手際よく済ませるのもわしらの技量なんですな。

 とはいえ何とか仕事も済ませ、N君に「じゃ、現場で!」と挨拶して車に飛び乗る。
東伊場の御簾脇
左右で川中島の合戦絵図になっています。
東伊場の御簾脇

 最短のコースを考え、雄踏街道を走っていくと、丁度い組(東伊場)が屋台のお囃子の披露目をやっている。
 こういう光景もいいなぁと思いつつ、信号待ちの間、携帯で写真を撮る。
 すると、自宅から着信履歴があることに気がつく。車を道路脇に寄せ、自宅に電話。
 僕:「もしもし、電話くれた?」
 お袋:「Iさんから『高校生のワッペンはどこにあるだァ?』って電話が着てるに。Iさんに電話しな。」
 Iさんというのは東田組で一番のうるさ方……えーと、ご意見番である。Iさんを怒らせると大変なので、すぐに電話を切り、Iさんの番号を調べる。
 しかし、よくよく考えてみると、Iさんの携帯番号を知らないのである。これじゃどうしようもない。
 仕方がないので、公会堂に電話。
 僕:「もしもし、不埒(仮名)ですが、Iさんいます?」
 M副自治会長:「あれ?どこだやぁ?さっきまでいたっけえが。【あれ?どこだろう?さっきまでいたんだけれど】
 僕:「あの、高校生のワッペンですが……ホワイトボード脇の机にありませんでしたか?」
 M副自治会長:「おぉ、探しとかぁ。泡食わして済まなんだなぁ【慌てさせて済まなかったなあ】
 これで一安心、再び車を走らせる。
 雄踏街道を使ったのにはもう一つ理由がある。成組(成子町)のYukarisuさんに挨拶をするためである。
 成組の会所は法林寺の車庫。成子坂の交差点手前の細い小路を入り、法林寺前で車を道路脇につけ(またかよ)、Yukarisuさんを探す。
 Yukarisu氏:「あぁ不埒さん、一杯呑んでく?」
 僕:「いえいえ、ここで飲んでったら飲酒運転になっちゃうし、それにもう会所に行かないと」
 Y氏:「そうだね。あ、それから俺今年は三日しか凧場に行けないからさぁ」
 僕:「え、そうなんですか?」
 Y氏:「うん、配属替えで休出の多い場所になっちゃって」
 これは僕たち担い手にとって一番イタいパターンである。
 僕:「でも、ま、とにかくどっかで会えたらよろしく!」と再び車に乗る。
 途中も組(元魚町)のD1Cさんにも会いたかったのだが、こちらは残念ながら会えず。
 さてそこからは元魚の会所を通り過ぎて大工町の通りを横断しまして右側は伝馬町。利町から連尺の裏通りに来て谷島屋脇の小道に出て市役所前の通りは紺屋町を左目に・田町を右目に過ごし、松城・元城と来まして市役所前を右に切れると尾張町。元組(元目町)あるいは五色連(池町)が吹き鳴らすかと思しきラッパの音を聞きながら常盤町から早馬町に出ましてクリエート浜松前を通り過ぎて東田町、自宅に車を止めたときにはホントずいぶんくたびれた。町名を書き並べただけでもずいぶんくたびれた。(inspired by 「黄金餅」五代目古今亭志ん生)
 それにしてもこれだけ町名を並べてもたかだか道のりは2キロちょっとなんですよね。京都の中心部、祇園祭の担い手の、いわゆる「山町」「鉾町」も、一つの町の大きさはせいぜい街路一区切りだし、市街地中心部の町なんてそんなもんでいいんでしょうね。合併なんか し な く て も。(ここいら辺の口調はinspired by八代目林家正蔵)

 一旦会所に立ち寄ると、さっきのM副自治会長が「おお、悪かったな。見つかったぜ」と声をかけてくれる。
 僕:「高校生の参加願はあるんですか?」
 M氏:「おぉ、自治会長がワッペン番号だけ先に教えといたらしいから、もう校長のハンコを押した参加許可書を持ってきてたぜ」
 とりあえずそれなら問題はない。

 さて!

 家に帰るとS伯母がくつろいでいる。挨拶もそこそこに正装に着替える。
 サンダル履きで足袋を片手に会所に行くと、本隊はすでに出発している。会所前では長老衆が田町・北田町が挨拶のお散歩に来るのを待っている。傍では屋台係が屋台の発電機冷ましでお留守番をしているだけ。屋台係で従兄のS副組が「まだ飯食ってねぇだろ、上にあるから食って来いよ。」と声をかけてくれた。空腹が相当顔に表れていたらしい。
 会所内では婦人会の皆様がお食事の片付け中。「すんませーん、飯食わしてくださーい」「あら不埒(仮名)くん、遅いじゃない」と近所のKさんが声をかけてくれた。お茶を汲んでいただき、握り飯を腹にかっ込む。
 いよいよ出陣!……って、本隊はもうすでに出発しているから僕はあくまで遅刻組ですが……
 提灯を持って本隊を探しに行くと、練りの本隊は馬込に向かっているらしい、急いで奴組の会所へ。
 新聞でご案内の方も多いだろうが、「凧」が終わるとこの馬込の公会堂は取り壊しが決定している。これももちろん再開発の一環で、新たな会所が出来ることになっているそうだが、2分団管内で僕が物心ついたころから知っている昔ながらの公会堂は常盤だけになる。新たな会所も楽しみだが、昔を知るよすががどんどんなくなっているのはやはり少し寂しい。
 馬込の会所に行くと、もう練りをつぶす状態まで来ている。急いで僕もその中へ。
 だんだんと祭りモードに体がなじんでいく感覚がする。
 いよいよ神聖にして荒ぶる三日間の始まりだ。
 と、練りの形が崩れて、転びそうな人がいるようだ。そのまま練りをつぶし続けてはいけないので、笛を長く吹いて止めようとしているが、全体の勢いが強すぎて、笛が聞こえていない。ラッパも太鼓も止まらない。まずい、と思ったが、転倒者の出そうなエリアが体勢を持ち直し、どうやら事故はまぬかれた。気をつけなければいけない。慌てて自分も懐中からホイッスルを用意する。
 先ずは組長に遅参の報告。そして今年のともえ連(松江町)組長になったZちゃに声をかけ、同級生その他知人大勢にも声をかける。
 馬込が東側3ヶ町(新町・松江・馬込)の締めくくりなので、次は西3ヶ町(東田・早馬・常盤)である。
 (注)ちなみに2分団には板屋町も含まれますが、板屋町は別行動のため、合同の前夜祭お散歩には参加しません。
 「次は東田町ですから、東田町の人間は先立って交通整理をしてくださーい」Y副組が指令を飛ばす。先回り役のIさんから交通整理の赤灯(東田組では通称「ニンジン灯」)を受け取る。
 よく周りを見回すと、緑色やら青色やらの交通整理灯がある。どこかの組が新調したようだ。
 僕「あれ、赤いからニンジンだろうけれど、緑だと何て言やいいんだろ?」
 Iさん「ん?アスパラでいいんじゃねぇか?」妙に納得。
 さて東田町の接待。ここでは接待を受ける側からする側に変わる。
 あちらこちらと走り回り、お酒も注いで廻る。
 それに今年は一升瓶係を仰せつかっていないので、チト気が楽でもある。
 だんだんうちの組でも若い衆ががんばってきてくれるので、とても嬉しい。
 とはいえ僕だってまだまだヒヨッコで、会所内では所謂「コップ洗い」である。
 「お前たちが頑張ってくれてきてるで嬉しいけどが、俺たちゃ不埒(仮名)やTが入ってくるまで、??歳んなってもまだまだコップ洗いだっただでな。東田町は副組だろうがコップ洗いはコップ洗い。もっといろいろ覚えることぁあるだでな」いつも言われるH副組のお説教は耳が痛いが有り難い言葉である。

 さて、その次は、は組(早馬町)。
 会所前で接待を受けていると、「ガシャーン」とガラスの割れる音が聞こえた。
 「お?」自町ではなく、お節介かとも思ったが駆けつけると、案の定ビール瓶を割っている。
 割った張本人はもう相当出来上がってるらしい、「……んぁ……手が滑っちゃいました……ら゛いり゛ょーう゛れすから【大丈夫ですから】」と言いながら地下足袋で破片をかき集めている。
 「おいおい!そんなことしちゃかえって迷惑かけるだろ!」僕の同級生でもあるその町の某副組(町の名誉のためここでは書きません)がそこをどかせて「不埒ちゃ(仮名)、ホーキって借りられんかねぇ」と声をかける。
 すぐに会所前にいるは組のSさんに声をかけ、箒を借りて某副組と破片を集める。
 自町の人間がしでかしたことではないとしても、6ヶ町合同で行動しているわけだし、そういったことを見過ごしにするわけにはいかない。
 それはやはり祭人のホスピタリティだと思う。

 そんなこんなでさほどお酒は頂かず(もちろんお祝い事ですし頂きましたが)、気を取り直してと組(常盤町)へ向かう。
 は組の会所前を出発したあたりで、練りの列の後ろのほうから、S青年監督が「あの……組長どこ行かれました?」と声をかけて来る。見るとS青監は一升瓶を抱えている。どうやらと組へ持っていく一升瓶だ。
 「おいおい、組長は先頭!組長のお兄さんと間違えないでよ!」と慌てて声をかけ、急き立てる。は組会所からと組会所まではそんなに距離がない、急がないと先頭が会所に着いてしまう。途中で間に合って肩をなでおろす。こういう形で今年も一升瓶とご縁があるのね……
 と組は前夜祭で必ず屋台を展示している。これはなかなかありがたい心配りである。
 常盤のクリーニング屋のIさんと話をしがつら、「ん?」と思う。違和感がある。
 理由はすぐに判明。屋台展示のときに必ず掛けてくれる「浜松夜曲」ほか4曲を掛け忘れていたらしい。慌てて監督氏が屋台の中のテープレコーダーを回していた。
 それが済むとわれわれ西側3ヶ町(常盤・早馬・東田)は東側3ヶ町(松江・馬込・新)と分かれ、た組(田町)へ向かう。
 た組の会所である分器稲荷は今年になって何度来ただろう。初詣だけでなく、「凧」や接待などの連絡調整なども込みで、例年より来た回数はかなり多い。御神紋の宝珠が誇らしげに出迎えてくれた。
 た組(田町)はロケーション上、我々2ブロックだけでなく、元城小校区(特に風心会)ともつながりがあるので、各町が御挨拶に来る。
 と組・は組とも別行動になってその次は兜組(北田町)。こちらは今年新たに公会堂を新築し、そのお披露目でもある。
 ご挨拶に行ったのが東田町だけの小人数だったので、もう交通整理の必要もなく、お酒を頂く。北田町の公会堂は場所柄車が通るのも本当にまれですからね。
 ほかの町も各町をご挨拶に廻っているようだ。どこからか「おいしょ・やいしょ」と元気のよい掛け声が響く。
 そしていよいよわれわれも自町に帰る。前夜祭お散歩の人数なんてタカが知れているけれど、たといその人数だとしても、気持ちを入れて真面目に取り組む必要がある。
 「なまじ神事でないだけにモラルハザードがでかい」と言われるが、担い手が真面目にやっていないと祭は崩壊し、単なる馬鹿騒ぎに転落する。
 「範を示す」と言うと尊大かもしれないけれど、担い手が「祭ってのはこうなんだぜ」ってのをしっかり発信する。そして「単なる参加者」には担い手の気持ちの何がしかを感じてもらう。「伝統を受け継ぐ」という行為は、自分が受け取るだけでなく、次世代へ渡していくものでないといけないのです。
 前々から言っていることなのですが、今のお祭りの問題点は、つまるところ「観光への過度の傾斜による伝統の形骸化とそれによる不心得者の増加」なのです。これ、暴力排除と同じかそれ以上に大事なことなんでしょうけれど……まつり構成四団体のうちの少なくとも市・自治会連合・観光コンベンションビューローはおそらくそんなこと考えてもいませんからね……
 そんなこんなで会所に到着。
前夜祭トリ


前夜祭のシメ、自町内だけです。
これだけだと人数が結構いるように感じられましょうが……

前夜祭のシメ2



実際のところはこんな人数です。

 会所内では明日の連絡などをしながら会所でしばしくつろぐ。
 三々五々帰る人もあれば呑み足りないために有楽街へ繰り出す人もある。
 僕はT副組ほか数名と有楽街の居酒屋へ行き、少々引っ掛けて、自町・自宅へ戻る。
 今年は例年と違い、3日の娑婆の仕事がないので朝からいろいろ仕事を言いつけられそうだ。そんなことを考えつつ蒲団にもぐりこんだのが深夜1:00。

5/3 南西の風 晴れ

 昨日の酒の残りと戦うのはいつものこと、「……あ、昨日メールチェックしてなかった……」と考えつつ、5:30に蒲団から這い出す。けれども面倒なのでメールチェックは6日まで放っておいた。後日このメールの山がとんでもないことになるのであるが、それは別の話。
 何はともあれスウェットにサンダル履きで会所に向かう。正装に着替えるのは後。
 6:30に集合の号令がかかっているが、少し早めに集まっていたほうがいいに決まっている。6:30にはみんな集まって食事。
 昨夜のワッペン販売の整理をしがつら、今日やるべき内容を確認。
 八幡宮での祈願祭に記念写真の撮影、それが済めば凧場への移動手段の確保・分乗の手配、朝からやるべきことはいっぱいある。
 しばらくすると、給与係がタスキをしまってある衣装ボックスを出してくる。「タスキ授与」である。
 とは言っても何のことはない。当町においてはタスキそのものは投げてよこされるもんである。
 大事なのは「タスキという物体」「『タスキ授与』という儀式」ではなく、「タスキ」という言葉に込められた責任感、そしてタスキを投げてよこしていただける信頼なのである。


 毎年この時間帯は娑婆の仕事のために留守をしていたので、あらためて仕事の多さに驚き、また、気持ちを引き締める。

 さて、祈願祭だ。しかし自分自身まだ着替えていない。慌てて家に戻り、正装に着替えて会所に戻る。

祈願祭
 しかし慌てているときに限って足袋のコハゼがうまく嵌まらない。先輩方に「ナニやってんだか……」と無言のプレッシャーを受けながらコ ハ ゼ を 嵌 め て い く 。
 ようやく嵌め終わったところで上から長老衆がやってきて、出発。
 去年から「渉外」という役目を仰せつかっているけれども、これはやはり外交官的な仕事なので、責任は大きい。
 しかしそれを超えるところに組長という存在がある。組長の側にお仕えして、組長の権限とそれに付随する責任の重さを感じる。
 かつては副組長も一人しかいなかった時代がある。昭和30年代の各町の集合写真を見せていただくことがあるが、どの町だってタスキの本数は赤ダスキ(監督)を含めても5人、野口や松城などの大きな町でもせいぜい10人である。そのころの青ダスキの権力と責任は今以上だったことだろう。
 「元気に摺足で行けよ!」組長の檄が飛ぶ。気持ちを引き締めて六間道路を渡る。
 八幡宮に続々と各組が集結する。みな誇らかに摺足で鳥居をくぐる。久しぶりに見る光景だ。ワクワクしてくる。
 組長とお施主さんは拝殿に上がり、お祓いを受ける。僕は拝殿下の辺りでメガホンを渡され、待機。
 辺りを見回すと、小中時代の友人があちこちにいる。特に15分団管内(六間道路北側の八幡・野口・船越)の友人は昨日の前夜祭でも会っていないので、この場で声を掛けたりかけられたり。
 ようやく祈願祭が済むと10ヶ町の練りが始まる。凧場でもめったに見ない光景。「あァァ、やっぱりお祭だよなぁ」と組長の傍らで眺める。


 さて、祈願祭が済み、各組とも会所へ戻る。帰りも当然摺足。
 この時期の少し乾いた空気が心地よい。今年は三日間とも晴れてくれそうだ。
 会所に戻ると次の仕事は記念写真。屋台係が中心に屋台を出し、写真映りを考えて舵を右に左に切る。
 丁度見栄えがベストになったあたりで写真屋さんが踏み台を用意し、作業をしていく。
 みんなの晴れやかな顔、これから始まる三日間の顔だ。
 記念写真を撮り終えると、屋台係が長老衆と一緒に屋台を市役所前へ持っていく。
 その間に湯茶運搬車などの「東田組公用車」が集結し、凧場への分乗の手配をしていく。
 例年、僕は一人でバイク移動していたが、今年は運転手である。
 東田町に協力して住民の駐車場を提供してくれる白羽のAさんには感謝の思いである。
 屋台係が屋台を設置し終えて続々と市役所前……というより今日はロイネットホテル前だが……から帰って来る。
 「やぁ、そろそろ行きまい」給与のM副組はじめ、車にどんどん乗っていく。
 恐らく現場では凧係がすでに凧の準備をしているだろう。気持ちがそそられて来る。
 「乗りっぱぐれた人はいないか?」と会所周辺を見渡し、出発!
 途中で「朝食の後の軽いお食事」を買いたいというKさんのために、少々回り道。
 その時、「あ……」携帯の電池が切れかかっている。シガーソケットの充電器を引っ張り出して充電。
 凧場と先回り・松林の連絡が全て無線機だった昔は結構混線があり、そのために聞き取りにくいということもあったようだが、今は携帯で連絡を取り合うようになり、さほどのことはない。まあ、携帯の通話料もタカが知れているし、いちいち通話料を計算して必要経費で予算を組んだら大変面倒くさいことになる。無料通話の一部を拠出しているぐらいだし……それにこの時期、あまりプライベートな内容で連絡を取り合うこともないしね。ちなみに、D社は凧場との相性が悪いのか、アンテナが1本になる時が多く、少々心もとないことがあります(輻輳現象ではなさそうですが)。
 買出し組が戻ってきて再出発。
 白羽の交通規制地点でバイザーにつけておいた通行許可証を見せ、通ろうとすると、前の車がいきなりUターン。どうやら一般人が規制を知らずに通ろうとしたらしい。
 初日は一般の人も規制をかけている警察の人も不慣れで落ち着かないものだ。

 バイクで現地に行くときの癖で、ついつい糸枠置き場のAさん宅方面に行ってしまうと、後ろから「おいおい、駐車場はそっちじゃねえぞ」とツッコミが入る。そうでした。去年教えてもらったのについ忘れてた……
 少々大回りになって、駐車スペース。ここで車を降り、みんなでAさん宅へ向かう。
 風の具合を考えて、すでに何枚かの凧が運ばれたようだが、まだ用意しておきたい凧があるようだ。凧係が1枚の凧を出した。凧係と一緒に凧を持って行く。
 凧場はもう人いきれ。大騒ぎである。
ラッパの音、
練り太鼓の力強い音、
揚げつけに走る人たちの姿、
子供と一緒に凧を眺める親たちの姿、
 ここ数年にない、いい風だ。
 陣屋に凧を持って行き、早速凧場の糸枠に向かう。
 当町の糸枠のありかを示す「糸枠旗」は、ショッキングピンクに白影で紺文字の赤宝珠。遠くからでも目立つように10年位前に作ったものだが、最近よその町もまねするところが出てきて、「あ、あそこ……と思ったら違うじゃん」ということがしばしばある。
 背景も文字も白以外の色で塗られている「総色」の旗は以前と比べるとずいぶん増えましたね。

 ちなみに凧に関して言うと、東田組は今まで総色を作ったことがない。字凧は白抜きあるいは逆に白地を前提に造られたものが多く、無理に総色にすると見た目が重苦しくなるので、誰も作ろうという声をあげないのである。
 絵凧の場合はやむをえないのでしょうが、凧屋さんによると、「背景色が軽いか、絵柄の本体が軽い色になっているかしているからさほど重たく感じないでしょ?」とのこと。凧屋さんてきちんとそういうことまで考えているんだよなァと感心。

 さて、初手は町内凧の4帖。
 町内凧を揚げるときにまず話題になるのが「あれ?これ誰の凧だっけ?」ということ。町内凧は去年あるいはそれ以前の初凧から家紋と末広を剥がして、そこだけ紙を張りなおしたものが多いので、去年の戦歴を思い出すよすがにもなったりする。
 「えーと、この凧は……」「Jさが去年作ったやつに決まってるだろ!白バック【白地】の町内凧なんてここ数年なかったぞ」あ、そうだった……
 11:00。花火が上がって、市長の開会宣言。花火と一緒にみんな一斉に揚げる……のが普通だが、同時に揚げ付けをやっている凧がぶつかり合って共倒れになる可能性もあるので、少し間をおく、上空にスペースができたところで、

「それっ!」

揚げつけ・その1
この時の揚げ付けの様子の画像がなかったので、ほかの画像で代用します。
雰囲気はご想像ください。


 糸先が後方に下がりながら右腕に力を込める。

 風を受け、空に躍り上がる。

 凧は糸を欲しいとアピールし、力強く揺れる。

 するすると糸を送り、再び凧を空に届ける。

 風と糸を受け、凧はどんどん遠くへ送られていく。

 再び糸を引く。高みへ舞い上がる。

 それが幾度か繰り返され、空に張り付いたように凧は空に止まる。

 僕が「一発でしたね」と言うと、
 「この風で一発で揚げんかったら年寄りに怒られらァ!」と凧係のH副組。
 怒鳴りながらも気持ちのよい笑顔。
 この気持ちのよさが「凧」の醍醐味です。
 しばし上空の凧を眺め、かわるがわる糸先の持ちっこをする。
 「いい風だねぇ」「うん……」

 午前中は風の様子見、本番は昼以降である。

 今年の陣屋は通路の南端、松林に遮られてはいるが空は陣屋内からでも良く見える。
 やっぱり陣屋内から凧が見えるってのはいいなぁ。地上が見えていればもっといいんだけれど……
 見物客への配慮であろうが、現在は神農師(香具師・テキヤの美称)の露店が凧場側に来ている。しかし祭の原点に立ち返ると、やはり陣屋が凧場側にありたいものだ。
 (ちなみに最近このことはまつり本部の間でも問題視されていて「凧場に来た子供たちが凧も見ずに、単にピクニックに来るだけになっている」という声が上がっているそうです。)  ふと見ると、町内の長老(所謂「年寄り」ではない、歴史を支えてきた方)Uさんが凧係のHさんと揚げつけの方法を論じている。
 祭に齢は関係ない、それぞれの年代にそれぞれのやるべきこと・やれることがある。それを実感した瞬間であると同時に、われわれ祭の担い手の「業(カルマ)」を感じた。

 さて、みんな昼飯も大体済んだので、午後の部である。
 初凧をみんなで揚げまいということで、まずは会計O副組の六帖。

会計Oさの初凧


 お施主さんが「親戚を呼んでるもんで」ということで、本格的に揚げるのは明日なのだが、凧の癖を覚えておくためにもいっぺん今日のうちに揚げておくのである。

 風の具合が誠によく、すいすいと上がっていく。

 「ホント何せんでも揚がってくなぁやい」【本当に何をしなくても凧が揚がっていくよね】と気持ちのいい声があちこちで聞こえる。
 「教科書どおり」と言いたいくらいのきれいな揚がり方である。

 こういうときは下ろすときによその凧と絡んでしまうことが多い(揚がっている糸の本数も普段とは比べ物になりませんから)のだが、どうやら遠くで糸が止まってしまったらしい。急いで凧を取りにいく。
 走っていくと、いつの間にか駐車場で先回り班が凧糸を止めていた。
 「凧を下ろすに使うで、テギ持ってきてくれやぁ」と糸先に連絡をしながら、みんなで糸を引っ張る。
 途中で凧は揚力を失い、松林の向こうで落ちたのだが、あとで聞くと、「老人ホームの庭に落っこちた。ホームの職員や入所者もびっくりしてたらしいぜ」とのこと。
 普通そんなところに落ちるとどこか紙の破れや切れた糸目・骨の折れた箇所でもあるものだが、そんな要補修箇所がまったくないのに驚く。
 「クセのいい凧だなぁ」「O副組の性格がそのまま凧に出てるだら」とか勝手なことをみんなで言い合っているが、これが三日目に「凧は本当に施主に似るのか……?」と思うことになるのである……

 次はI青監のところの三帖。ここは糸先名人その1…Oさん(O副組とは別人)の独擅場である。なんと言ってもOさんのお孫さんの凧だし(爆)。
 お孫さんがいる人とは思えないような力強い揚げっぷり。いくらこの風とは言っても「あっという間」なのである。
 この方は、過去の当日日記をお読みの方ならご存知でしょう、
 「やァ、5日まで初凧を持たそうなんて考えんでいいからな。」【おい、ガンガン切り合い(=合戦)に使ってくれよ】の方です。
 まずとにかく元気のいい方です……

 その次にI青監の三帖。この風だから小さくても揚げつけは早い。あっという間である。
 みんなで遊んでいると、某E町の法被を着たI青監の友達がやって来た。
 「法被違うけれどちょっと糸先持ってみる?」ということになった。
 「え、いいんですか?」彼らのドキドキした顔。その町では若い衆には滅多に糸先を持たせてくれないらしい。とにかく糸を持つと「すげぇ!」「おぉぉぉ!」の連発。
 「揚げ付けだの合戦の最中だのは慣れてきてからでないといかんけど、凧を遊ばしてる時はどんどん若い衆が糸先を奪いに来てくれにゃ。風の感じをよく分かったらいよいよ揚げ付けや合戦の練習になるだでな」というH副組の言葉は本当に重い。そしてその言葉の向こうにある「継承」という単語の重さを感じた。

 とにかく「今年はブンブンの風でガンガンに切り合いばっかりの年」になりそうだという予感がする初日の凧です。
 そんなこんなしているうちに3時の花火が揚がり、さらに4時を廻ってくると「そろそろ屋台の支度をしまいか」という話になってくる。
 みんなで凧を片付け、道具一式をAさん宅に預ける。
 皆で自町内に戻る。僕は一旦家に戻ると風呂場に飛び込み、汗と砂埃にまみれた体を洗い流す。
 会所で一休み。明日の屋台イベントの道具に目を通す。
 今年は4日に当町を含めた六間南の五ヶ町で、屋台をアクト通りに展示することになり、そのために屋台に関する資料を作っておいたのだが、よく見ると間違い、というより文章が中途半端で終わっているところが数箇所ある。「あ、いけね」と思い、慌てて資料を作り直す。印刷も済ませ、資料の差し替え完了。あー危なかった。
 自町のやつなら自町が恥かくだけで済むけれど、よその町の資料に不備があったら大問題である。
 できれば八幡町あたりが作っているような、木製の立て札を作りたいなぁとも思うのですが、そこまですると金もかかる話だし、しかし作ってみたいし……

 何やかや作業を済ませ、足袋を履く。

 すると、突然携帯が鳴る。「ん?」先に屋台番に行っていたS青監だ。
 「あぁ、不埒さん?お客さんが来てるよ」……???僕にお客さん?
 「あの、もしもし、尼崎の……」
 「ああぁ、清友さん!」
 今年遠州横須賀の祭りで知り合った尼崎のお祭り好き、南清友さんである。
 近畿のだんじり地域の方々は三河半田を中心に、あちこちの屋台・山車祭りを見物しておいでの方も多いが、浜松にも来てくださったとは!

 「え?今浜松に来てらっしゃるんですか?」
 「はい、市役所前出発と言うてはったんで待ってたんですけれど」
 「わかりました!すぐ行きます!」提灯とろうそくを持って現場へ急ぐ。
 今日の屋台出発はいつもよりもやや前のほうである。
 松城のロイネットホテルの前に屋台は置いてある。お客さんを待たせてはいけない。少し早足になる。

 現場に着くと、同じく屋台番をしていたMさが「おおい不埒さ!こっちこっち!」
 横須賀でお会いした清友さんが、カメラを抱えてこちらに挨拶をしてくれた。
 「おいでだったんですね!」「ええ、それにしてもすごい台数の屋台があるんですね」「今日は同行のお方は?」「ああ、今日は半田の潮干に行ってます。」

 ひとしきり屋台の構造や建築・彫刻などに話題が及んで「それから明日は朝8時からアクトシティ前で屋台の準備をしていますから」「はい、それじゃ、今日は楽しませてもらいます」

 屋台に戻ると、「大阪のほうからわざわざ屋台を見物に来るの?」とMさ。「うん、特に大阪のだんじりの地域の人たちは山車・屋台・だんじりの祭り見物となると相当あちこちの地域を見て廻ってる人が多いみたいだね」「じゃ不埒さも?」「まあ、東は春野・袋井から西は蒲郡の三河三谷まで、ね」

 浜松の人はよそのお祭りを見物するということがさほど多くないせいか、清友さんのような存在は珍しく感じられるのでしょう。
 しかし実際のところ、「屋台祭」見物の方は意外に多いものです。WWWの世界で有名な屋台見物の方というと、二俣ファンの大阪泉佐野のSさんや、悉皆調査HPで有名な岸和田の「いわねえ」さん、福島二本松の「太鼓台」さん、この辺では袋井のAさんはもちろんのこと、森のIさん、横須賀の「角つなぎ」さん、宮口研精社の三階の前身を名古屋の旧二福神車であると探り当てた名古屋の皆さんもそうですね。

 浜松の屋台も意外と注目している人が多いですよ。


 今日の町練りは組長附。組長の隣でメガホン持ちだのバンザイの呼名プロンプターだのをしたりする係である。
 しかしこれが結構神経使うんですよ。一昨年初めてやったんだけれど、呼名用のカンペの手帳をめくり忘れていたり、メガホンを渡すのに間が空いたりして、シマらなかったり……
 しかも今日は清友さんがついておいでになっているのが意識されて、とても緊張しました。


 先廻り、露払いの案内に伴って、ゆりの木通りから有楽街、鍛冶町通りに第一通りとあちらこちらを駆け回る。

 練りの全体にしゃきっと摺足をしてもらおうと、自ら胸を張って摺足をする。(ちなみに毎年本部に提出する書類に「練りてい団」とあって、「『ねりりていだん』とは何じゃいな?」と思ったのですが、つまりは「『練り』の『梯団』=ハシゴ状に行列になっている集団」という意味だったんですね。)
 街練りの難しいところは、よその町と鉢合わせにならないようにしないといけないこと。特に裏通りなどの小路で鉢合わせなどすれば、ことによると遺恨を残すことにもなりかねない。先回り衆の誘導のうまさは絶品である(しかもすばやい対応・上手な交渉)。
 ちょくちょくお世話になる有楽街のお蕎麦屋さんと、町内近所のスナックにごあいさつ。
 そして屋台と合流。
 自町内周りをしたかったのだが、時間が厳しく、今日は断念とは相成った。

 自町に戻ると、町内練りに向け、大わらわである。
 「やァ屋台をしまうで小屋までの通路をどかせ!」「人数ついたか?楫は誰がやる?」「Iさが付いたぜ。じゃぁ行くぞ、せーのォ!!」「(小屋に入って)屋台の後ろ、あと何センチある?」「もう70センいけらぁ」「入ったか?先導車をしまえ!」「じゃ、あとは屋台係頼むよ」
 「おーい、提灯もっと出せよ!」「とりあえずあるだけ出そうか」「ロウソクは用意したか?小っちゃいのはすぐにとっかえさせろ」
 「旗を持たせろ。気合の入った奴がいただろ」「K太が持ちたがってたぜ。D樹とカッコいいトコ見せたいって!」


 さぁ、町内練りだ。

 昼夜と走り回り、汗だくになっていただくご接待の酒肴のありがたいこと。
 「今日のあん時の凧、気持ちよく揚がったよなァ」
 「あの○町との切りあい、みんなエキサイトしていたけど面白かったっけ」
 「Oさの凧、クセが良いから、明日もブンブンで揚がるら」
 老いも若きも凧談義に花を咲かせる。
 お施主さんがビール瓶片手に「いい具合に揚がったねぇ」と声をかけてくれる。
 この時ほど酒が心地よく腹に染み渡るときはない。至福の瞬間である。

 さて、I青監の接待、そこへ昼間の某E町の若者たちが来ていた。
 「凧って面白いっすね」……おいおい、その年で凧デビューかよとも思ったが、まあ各町事情もあることなのであまり深くは突っ込むまい。その町もHPを持っているので、サイトの管理人さんに伝言を頼む。
 そんなこんなで初日は終了。
 一般を完全に解散させ(そのために会所の玄関周辺は完全に消灯します)、タスキは一旦会所に集合する。
 今日の反省事項と明日の予定を伝達して解散。
 明日はアクト前での屋台展示があるので、今日並にちょっと早め集合となる。
 家に帰るとシャワーも浴びずにそのまま蒲団の上に倒れこむ。恐らく0:30ころだったろう。


5/4 南東の風 晴れ

 5:30に起床。昨夜シャワーも浴びずに寝てしまったので、風呂場に行ってざっと体を洗い流す。
 会所に行くと、今日の屋台展示に関係する渉外・屋台係は6:30には集まっていた。早々に飯を済ませてアクト北側の広場に行く。
 途中、屋台紹介用のミニパネルを忘れたのに気がつき、慌てて戻る。
 気を取り直してアクト前に行く。
 すでに板屋と馬込・新町の若い衆が集まって作業を始めていた。
 今日の屋台展示は、東街区の区画整理完成記念と地域活性化の期待を込めたイベントなのだが、ここにたどり着くまでにはいろいろな困難があった。
まず展示場所
……当初はアクトシティ北側の道路に屋台を置いておき、西進して繁華街へ繰り込む計画だった。
 しかし、この道路が消防の緊急道路として使われるため、警察から
「緊急道路を西進するのはもとより禁止と通達しているはず。それに祭り期間中の屋台駐車は指定された場所と決められている。たとえどんな事情にせよそれ以外の路上への無断駐車は違反切符を切る」
という警告が入ったのである(ご存知でしたか?屋台も「軽車両」なんです)。
 その警告があったのが屋台曳き回しのために「道路使用許可書」を申請した時なのである。(出来ればもっと早くに言ってくれよ。去年の段階から陳情・申し入れを祭り本部通じて行ってんだからさ、ブツブツ……)
 そこで「シンボルロード上の遊歩道に展示、曳き回しは一旦東進して静銀板屋町支店前から田町へ」というルートになったのである。

次に遊歩道の使用条件
……遊歩道は道路ではあるが警察の交通規制をまぬかれることができる。しかし、もう一つの問題が控えている。
「遊歩道は浜松市の土木管理課の管轄」であるということ。
 祭りまでに時間がない、遊歩道を利用する手段がないかと考えていたら、4月中旬の段階で「中心市街地活性化イベント」の名目で遊歩道を利用できることがわかったので慌てて書類を作成、提出することになった。
 しかしもう一つの問題は「施設を破壊しないこと」という条件。
 最初は「ここなら大丈夫だろう」と思っていたのだが、当初の見当と異なり、敷石が思いのほか薄かったのである。
 色の濃いタイルは10cm厚の自然石。これなら問題ないのだが、それ以外は3cm厚の人造石。厚さだけでなく素材そのものの強度は推して知るべし。
「5〜6tもあるような屋台に金属の輪っぱで乗り上げられると、出来て間もない遊歩道のタイル、割れるかも知れんしなぁ」と公園管理課からも渋い声があったのである。
 そこで当該の五ヶ町が金を出し合ってコンパネをレンタルして屋台の下に敷くことになった。

そして展示に伴うセキュリティの問題。
……昼間は皆凧場へ出払っているので、屋台番がいない。うちは例年市役所前でも屋台はそのまま置いてあるが、制限区域内でない上に、これだけ屋台を集めているのだから、留守番をしてくれる人が欲しい。
 ということで、警備員さんにお願いすることになった。
 さて、そのコンパネの枚数、200枚。思いのほか枚数が要る。各町の屋台関係者がみんなで敷いていく。
もちろん屋台の寸法、特に車軸幅は各町違うので、気をつけて敷いていく。
 コンパネをほぼ敷き終わると各町の屋台がやってくる。
 「エーっと一番前はどこだっけ」「まず新町でそん次が馬込さん!で常盤さん・東田町さん・板屋さんね。順番に並べてってよ」
 あまり屋台の間隔を狭めるとせっかくの正面が見えなくなるので、間隔にも気をつけながら配置する。
 今後六間北の3ヶ町が参加する可能性も高いので、その場合などもシミュレートする。その場合は2列に配置することになるだろう。先導車は屋台の写真をとりたい人には邪魔だろうなぁとか、そんなことを考えたり。
 屋台も並べ終わり、各町提灯などの微調整に取り掛かったところで、作成しておいた屋台の説明パネルを各町に配布、高欄に掛けてもらう。これでとりあえず朝の屋台関連の仕事は終わった。後はこのイベントがうまくいってくれる事を祈るばかりで……
 会所に戻ると「さぁて、出発するかぁ」と、凧場へ気持ちが切り替わる。
 見上げると気持ちのよい青空、風具合もなかなかで、絶好の合戦日和になりそうだ。
 カーラジオでFMHaroをつけると、もうお祭り一色の放送内容になっている。がとりあえず、車の中で「浜松夜曲」と「凧あげ音頭」を聴くことにする。やはりこの曲でないと「お祭り」のテンションが盛り上がらない。数年前、久々に凧場でこの曲が流れたときにはホントにお祭りっぽくなって涙がチョチョギレるような気持ちでした。(「涙がチョチョギレる」ってどういう意味かって?SBSラジオを聞きなさい)
 現地到着。一度凧置き場に向かうが、特に何もなさそうなのでそのまま凧場へ。
 やはりこの日の一番のイベントはO副組の初凧での合戦である。
 なにしろ、昨日の「クセのいい」O副組の凧である。
 しばらくするとO副組の凧がやって来た。皆で支度をする。
 O副組のご家族を糸枠にお招きする。ご親戚方もお越しでワクワクした雰囲気はますます盛り上がる。
 初凧を前に記念撮影をしたり、施主のおじいちゃんと話しをしたり。
 「さぁていくぞお!」糸先が号令をかけると小糸を伸ばして揚げつけの仕度。


そして、
 「それっ!」
この凧でこれから合戦

 今日も昨日と同じくいい風に乗って凧はぐんぐん揚がっていく。



 さて、なんとこの凧で合戦ということになった。この風を見逃すのはもったいないしね。
 相手を探していると、前方に八まん連がマ組(松城)と糸を合わせている。そのほかも数町入っているらしい。

 「よし、あそこだ」とみんなで決めて糸を持っていく。

 糸枠ごとぐるぐると廻っていって、さて!切り合いだ。
ここ数年ないようないい合戦

 「お、おいおい、Oが糸先行ってるぜ」とT長老。普段は糸先というイメージの薄いO副組が糸先に行って合戦に臨む。みな我を忘れて、必死になる。

 我々「凧」で育った人間はやはりこうなのである。先にも書いたとおり「業」とでも言いたくなるものなのである。

 と、突然目の前で小競り合いになった。うちの青年監督と某町の若い衆だ。

 どうやらお互いに肘がぶつかってかっとなったらしい。すぐに双方から仲裁役が入って止める。
 周りにいた人間も動揺してどうなるかという顔をしていたので、「おいおい、これからやるのは地上戦じゃねぇぞ!『凧』だぞ!」と声をかけ、再び切り合いに集中してもらう。
 東田組は某所で「切り合いの際には背後霊のごとく後ろから襲いかかって来る。要注意」とか言われているらしい。しかしそれだけではないのである。合戦の醍醐味は引きとガラのタイミング。

 今年は風があるので、組長も「とにかくたんとガラを出いて凧を上空へ持っていく」という方針。ほっておいてもどんどん凧は風に乗っていく。

 東田組が参戦したあとも、数ヶ町が入れ替わり立ち代わり入ってくる。

  すぐ落ちてしまう町あり
  はち切れて退く町あり
  また長く合戦にとどまる町あり。

 するとうちの糸に異変。糸を引いても凧の力強い風圧が感じられない。「凧の声」が糸から聞こえてこない。凧糸が複雑に絡まりすぎたためか、糸が止まってしまったようだ。
 こうなると後は糸がハチ切れるのを待つか、自分で糸を切るかしかない。
 ただいずれにしても、自分たちの糸を巻き戻さないといけないので、とにかく糸をみんなで引っ張る。
 糸枠を見ると、ずいぶんな分量の糸が出ている。後で先回りから返ってきた糸を継げばそれでもよいのだが、それでは手間が過ぎる。今のうちに巻き戻せるだけ巻き戻しておきたい。
 しばらくすると、糸が急に軽くなる。先回りに連絡してあったので、どうやら先回りが糸を切ったらしい。
 さらにしばらくすると、糸の端が松林からやってきた。
 そこをT副組が握って「おいしょ、おいしょ」と糸枠へ戻っていく。
 これにてこの合戦は終了。まことに楽しい合戦であった。
 小休止していると、ちょうど八幡HPの八まん氏がマ組(松城)の法被を来た若い衆と話をしている。声をかけると、案の定その青年がマ組HPの管理人、shino氏である。
 そこで出た言葉はやはり「いい合戦だったねぇ!」こういう合戦をこれからも続けたいもんである。

 さて、そうこうしているうちに花火が揚がる。これからが凧の醍醐味、「風の変わり目」である。
 風の変わり目も存分に楽しんで、さて。
 先ほども書いたが、今日は屋台展示イベントの日である。この企画の担当者は例年より1時間早く自町に戻る。
 もともとこの企画は「そもそも自町の屋台を自町で曳けんでどうする」「再開発も一区切りついたこんだし、東街区の屋台で合同町内廻りをしよう」という声を基に始めた企画である(途中で屋台展示に趣旨がシフトしましたが)。
 同じ東地区でも、アクトからだとちょっと遠すぎる15分団3ヶ町のこともあり、「合同町内廻り」という計画は成立しなかったが、まず今年は2分団で屋台のある5ヶ町で、「屋台展示イベント&市内廻りをやってみよう」ということになったのである。
 一緒に帰ってきた面々は会所のシャワー室で体を流す。

 僕は一旦家に帰り、家でシャワーを浴びる。
 すると風呂の外から母が「電話鳴ってるに」と脱衣場へ携帯を投げてよこした。
 ??? 何じゃ?
 慌てて頭のシャンプーを洗い流し、携帯を見たがすでに止まっている、履歴を見たが知らない番号。
 不審に思ったが、呼び出し時間が異様に長いので、こっちから掛けてみた。
 「あ、もしもし」
 「あのー、東田町凧揚会の酒上さん(仮名)でしょうか?」
 「あ、はい」
 「私、S新聞浜松総局の者ですが……」
 「あ、はいはい」

 この企画を実施する際に、市へ「中心市街地活性化イベント」ということで企画を通していたのだが、実は企画書のワープロ起こしをしたのが僕。そしてその際にプレスへ連絡を入れるための文書も入れておいたのだが、その連絡先もなぜか僕にされてしまったのである。
 取材の打ち合わせをしたいとのことなので「藍染の東田町の法被にこれこれの格好で、副組提灯を持って行きますから」と説明し、場所と時間を決めて電話を切り、体を洗いはじめたらまた電話。
 「今度は誰?」と思ったらまた知らない番号。
 「もしや……」恐る恐る電話を取ると、「あのー、私、C新聞東海本社の記者ですが」……やっぱり。
 とにかく時間を決めてさっさとシャワーを切り上げ、夜用の法被に着替える。
 会所に行って、屋台係と渉外主任に「新聞取材があるらしいから」と連絡。すぐに提灯とメガホンをもってアクト北側のシンボル道路の遊歩道へ向かう。
 どの人が記者さんか、聞いてはいなかったが大体雰囲気は分かる。一眼レフのカメラを担いで、祭りの全体像ばかりを撮影しようとしている人を捜しゃいい。腕章をしていればほぼ間違いなし。逆に細かい写真をとろうとしている人は写真が趣味の人か、屋台ファンだからそういうのは除外。
 商売敵ながら、取材は一気に済ませたいらしく、さっきの電話でC新聞の記者さんは「S新聞さんと一緒のあたりにいますから」と言っていたからそんな感じの人を捜せばすぐである。
奴組屋台
展示中の奴組(馬込)屋台
 見るからに新聞記者という面持ちの人が二人。
 一人は男性一人は女性。
 その向こうにFMHaro!の取材記者さんもおいでである。
 今回の企画のきっかけやら、屋台そのものも結構な見ものであると言うことなども話していると、うちの自治会長が来た。お互いを紹介して、自治会長の言葉を取材してもらう。
 自治会長「え〜今回のイベントですが、東街区の市街地活性化のためにこの企画を実行しろと市長から話がありまして……」

 あ、あの〜自治会長、確かに市の企画を利用したけれど、市長に言われたからやった企画じゃなくって、もともとは凧揚会のサイドからスタートした企画ですから……それにお上への反撥心が「凧」を支えてきているのですから……┐('_`)┌


 僕が説明したいこと&事実と違うので、S紙の記者さんに目配せ。S紙さんに中途半端な理解でこの企画を考えられると困るので、「こういうことですから」と話していると、ちょうど今年の八幡校区(第2ブロック)当番町である新組(新町)のN組長が来た。今回の企画の最高責任者なのでこちらに取材をしてもらうことにする。
 C紙の記者さんにも「凧揚会サイドからスタートした企画ですから」と説明し、理解していただいた。

 大々的に広告を打ったわけでもないのだが、見物の人が結構やって来た。昨夜の練りの際に連絡しておいたので、ほとんどの参加者は間違えずに来たようだが、弊サイトのお知らせで確認した人もいるようだし、
 普段着でちょっと見物に来たという感じの方も見受ける。再開発に伴いこの近所に越してきた新たな町民の皆さんも思いのほか見に来ているようだ。後日知ったのだが、屋台に関してお詳しい桔梗連榮屋氏のご父君や、某サイトの常連・笠井人氏も見に来られていたらしい。

 夕闇が近づく中、屋台に灯がともる。

 各町すでにお囃子が始まっている。僕も2年ぶりに屋台脇で笛を吹く。

 この時間帯の屋台が好きだ。真昼の日差しで照らされているわけでなく、照明ばかりが目立っているわけでなく、ディテールが少し見えにくくなっているから美しいと言う感じの屋台が。

 そして6時。いよいよ屋台の出発である。
 お囃子の子供をトイレ休憩にし、その間に屋台を路上に送り出す。
 さらにもう一つ大事な仕事「コンパネの撤収」がある。
 みんなでコンパネを片付けていく。「コンパネの下から割れたタイルが出てきたら……」とちょっと不安になる。
 幸い、割れたタイルは1枚もなかった。この方式なら今後も無理なく屋台展示が出来そうだ。統監部にも今後の提案・参考事項として説明できるネタが出来た(ちょっとあわただしいけれど)。
 そして屋台が動き出す。今まで曳いたことのない時間帯。しかも今まで曳いたことのない場所。しかしご見物衆は意外に多い。考えてみればすぐそばにホテルが大小合わせて三つもあるんだから当然か。屋台を見てもらうには結構おいしい場所かも?
 今日は先導車係。前の状況を見て屋台を進めたり止めたり、練と屋台は屋台優先とはいえ、タイミングを間違えると大変なので、なかなかに責任は重い。

 ビアホール前を北上、そして屋台は旧国1を西へ進む。初めての経験である。この旧国1は板屋町交差点までは交通規制が一切かかっていないのでその脇を車がビュンビュン通っていく。子供の飛び出しは気をつけたいところである。
 板屋町交差点に到着、信号待ちをしていよいよ屋台を田町へ進める。
 と、ここでちょっとした出来事が起こった。
 向こう側から某町の練りの集団が向かってきたのである。
 「何でこんなところを屋台が通ってるだァ!」と怒鳴ってきたが、今日の我々は市内統一行動のスタート地点に絡んでこないので、文句を言われる筋合いはない。それに先導車が交差点の中ほどまで入ってきているのでこの状況なら100%屋台優先である。
 ただ、その町に恨みがあるわけではなし、お互い穏やかに済ませたい(それに交差点の真ん中で屋台を止めるわけにも行かない)ので、練には道路の内輪を通ってもらい、こちらもスピーディに屋台を進める。
 しかし、この後にも一つ問題がある。五ヶ町はこの日、屋台の統一行動に絡んでいないので、規定上田町交差点からの南進は、B班・C班(板屋町広小路および田町中央通りスタートの屋台)の最後尾が抜けるまで動けないのである。
 先頭の新組(新町)は7時前に田町交差点まで来ている。最後尾のい組(板屋町)も板屋町交差点を抜け、屋台本体はミズモト学園前に来た。それでも動けない。そして見物客の少なさ。アクト前があれだけ華やかだっただけに、ちょっとさびしい。
 今日の形のイベントが来年以降も出来るなら、ゆりの木通りにも屋台の見物客が流れて来るようにしてもいいんじゃないかな?それに無理に全ての屋台を松菱前に持っていく必要性も感じないし。駅前のホテルには「各町自慢の屋台を展示します」って広告を打っておけば、泊まり客も喜ぶよね。とか考えながら、B・C班の屋台が通過するのを待つ。
田町の屋台
ゆりの木通りで田町の屋台とすれ違う。
そういえば田町って今までじっくり見たことなかったよなぁ……


 途中何台かの屋台ともすれ違う。田町の屋台が来たときに、「あれ?東田町さんどうしたの?」ときかれ、「今日はアクト前出発の特別メニュー」と返事をしたり、渉外主任のS副組に「あの屋台(助信)うちと同じ巻き龍だけど、作ったの同じ人?」と聞かれたり。(ちなみに東田組と助組の屋台は作者は違いますが作成時期は同じです。巻き龍は昭和20年代の流行だったようですね)。
 しばらくするとB班の最後の町が通過、いよいよ出発。
 屋台を田町中央通りに持ってくると、予想外のところから屋台が出てきてびっくりする見物客もいる。
助信の巻き龍
前から写真を撮りたかった助信の巻き龍。
けれど横向きなので来年何かの機会撮りなおし予定。


 新組、奴組、と組と目抜き通りに入り、東田組の屋台も入る。
 そして板屋い組が田町の交差点を入ってきたとき、向こうから船組(船越)の屋台が見えた。
 「……ということは、八幡と野口も後から来る!」
 すると案の定、続いて来た八幡の屋台のそばから、八まん連HPの八まん氏が僕の顔を見つけて、「いい企画になったらしいじゃん」と声をかけてくれた。
 恐らく当初の「合同町内廻り」という企画では、やはり15分団3ヶ町の理解は得られなかったであろう。各町の声を上手に聞いていけば、来年はもっといい企画になる。そのことを感じた。
 (このとき、南進する2分団管内の5台と、北進してきた15分団管内の3台の屋台、つまり、田町中央通は東校区の屋台だけで独占状態になっていました。世間的にはどうでもいいことなのですが、個人的にはちょっとうれしい)
 そして松菱前を左折、自町を目指す。松菱前では別働の練り部隊がいる。
 K青監とD監督が元気よく旗を振りたくっている。ともに2代続いた生え抜きの東田町町民である。後で聞いたら「あいつら申し合わせて『気合入れて旗持ちをやろうぜ。タスキが気合入っていることをアピールできりゃ一般にも強烈なメッセージになるから』って言ってたらしいよ」とのこと。こういう後輩が育ってくれるのは本当にうれしい(ここで言う「一般」とは、一般参加者のことです、見物客のことではありません)。


 そんなこんなで自町に到着。本当なら町内周りをしたかったのだが、時間がかなり押していて、残念ながら本日も中止となった。
 ご近所への屋台曳き回しの感覚で市内の屋台統一行動に参加すると、自分の町で屋台を曳けなくなるというジレンマが、中心部の町の現状なのである。百科事典サイトウィキペディアで「鍛冶町大行列」と皮肉めいて書かれている「合同練り」、どうにかできませんかね。

 そして町内への初練りである。昨日よりさらに練りの集団の規模は大きくなっているような気がする。
 今日は交通整理係。
 何より交通整理係に必要なのは機動力と「どこの角に立っていればいいか」というタクティクス。
 「このルートで行くからここの角はほっておいてもいいけれど、あっちは練り本隊が来る前に止めなきゃ」
 「あっちにもう○○が車を止めに行ってるから、僕はこっちを止めておいて、と」
 「ルート変更があったの?」「向こう側通っていくことんなったから、止めるならあっちにしまいか」
 「ここは歩道で接待をやるから交通もこっち来て呑めやい」「ゴチ!」「あ、それとこっちのオードブルの皿さぁ、余りそうだし給与車に持ってってくれやい」
 そんなことを話しながら交通係は走り回る。
註:「給与車」……組により名称は異なるだろうが、練の最後尾にはたいてい車が着いてきている。
 余った接待の料理を頂いて帰ったり、接待後の路上の掃除をしたりするのである。
 そしてもう一つ大事なこととして、この「給与車」にはその年のワッペン番号の対照表が積み込まれているのである。
 万が一酔いつぶれて路上に倒れこんだ人がいたり、トラブルが発生したりしたときに、それが「知らない人」だったら「誰の紹介でワッペンを買った人なのか」を確認するためである。
 給与車から見られると、「タスキでもないのに一生懸命手伝ってくれたからなぁ」と評価されることもあれば、「町内の誰それちゃんはいい子なんだけれど、お友達がねぇ……」と言われることもないとは言えないので、祭りといえどくれぐれも節度は守りましょうね。
 そして会所帰着。本日もとても楽しくお祭りができました。
 タスキは会所に上がり、本日の総括。どうやら不心得者が粗相をしたらしく、町民の方から苦情を頂いていた。
 また、後日聞いた話では、練りの実施に関していろいろなトラブルに巻き込まれた町もあるようである。どうもあちこちパトカーが走り回っていると思ったら、そのせいか……
 新たな町民の皆さんにはご迷惑をおかけすることもあるが、どのように既存の祭りのシステムと町内の祭り不参加者との折り合いをつけるか、今後10年かかるか20年かかるか、僕たち担い手は苦労するところであろう。
 新たな町民は、もとより「『凧』とはまったく縁のないところから引っ越して来られた」方が多いわけで、そういう方にはお祭りの喧騒は騒音でしかないのでしょう。旧来の祭りのあり方が問われる時期に来ているのは確かです。しかし同時に旧来の祭りになかったものが付与されることで起きてきている問題があるのも確かです。
 そういえば、上掲の「ウィキペディア」にも、どなたが書いたのか、現状の浜松まつりが抱えているいろいろ問題点が載っています(筆者は私ではありません。念のため)。特にお祭りの終了時間(≒門限)の問題は、結構尾を引くかもしれません。
 会所で明日の連絡を取って、各自解散。モビラート軟膏を足にすり込んで、就寝は1:00。

5/5 南西一時東南東のち南南東の風 晴れ

 最終日。
 さすがに最終日はしんどいが、気力で立ち上がる。
 会所に行き、食事をする。なんしょかんしょ最後だであとは気を張っていくしかない。
 祭り当日のワッペン販売の記録を整理しながら、ふと思う。明日は仕事があるから、今日中に販売記録をはっきりさせておかにゃ。明日の片付け時に払いの済んでない所への払いをせにゃならんはずだから。さらにその後は会計報告が待っているし。自治会からもお祭りの予算を頂いているので、会計はきっちりとしないといけない。
 販売記録の整理をつけ、出発!
 昨日までは運転手だったが、今日は助手席。というより、いつも僕が乗っていく車が先にK副組が運転して出発してしまったためですが。
 途中、運転手のI青監と馬鹿話をしながら、現場到着。
 凧置き場から凧を数枚運び出し、陣屋に向かう。風は昨日ほどではなさそうだが揚げるのには申し分ない。
 陣屋では組長はじめ、今日の凧揚げの予定を立てている。今日も一日中激しく合戦に明け暮れそうだ。
 昨日おとといと比べ、今日は南西に近く、7時方向の風なので、凧場の南側に糸枠を陣取らせ、揚げ付けを待つ。
 早速凧を出して、揚げ付けの準備。そして揚げつけ。
 風は申し分ない。しかし周りに各町がいい揚げ付け場を求めて集まってきた。ちょっと窮屈に。

えーと、うちの凧はどこだっけ?
とにかくこれから凧場全体を覆ったあの悲鳴はここから始まる。

風変わりの直前
 一旦凧を下ろして再挑戦ということになった。

 しかしなにやら風の具合がおかしい。風向きが真南に変わってきている。糸先もそれに気づいて凧の向きを変える。

 近所で揚げ付けをしていた元組(元目)もやはり気がついたらしく、凧を一旦下ろして凧を真南に向ける。

 当町が揚げ付けを始め、空を見ると、風向きが変わったために揚力を失い多くの凧が落ち始めた!

 見物席からの嘆声。

 糸先の悲鳴。そして怒声。


 全てが一つとなって耳に飛び込んできた。
 風向きは変わり続け、ついに一時は東南東近くまで変わる。

 恐らく糸を出しかけていた組は、松林の中で相当往生したことだろう。
 そして空白だらけになったこの隙にとばかり、一気に揚げ付けをした組もあちこちにあるようだ。
 おそらくよほどへそ曲がりな気圧の波が上空を通って行ったに違いない。再び風は南を向き始める。
 「この時の風のビデオ、持ってる方がいたらダビングさせてください」とおっしゃった八まん氏の声は恐らく多くの担い手が思っているはずである。僕もそうなんだから。
 去年の「霧」事件、今年の「風」事件、まさか2年連続ですごい場面に出くわすとは思ってもいませんでした。
  風向きは変わり続け、ついに一時は東南東まで変わる。
  この興奮はしばらく語り継がれることになるだろう。
 午前中はとりあえずこの風のインパクト、これに尽きます。
 凧を回収に行く。砂丘団地の公会堂前で先回りがすでに糸を押さえていたので、みんなで凧を下ろしにかかる。途中、Y町も近所に落ちてきており、必死に糸を回収していた。
 「おーい、凧は?」糸先から携帯に連絡あり。
 「無傷無傷!すぐそのまま戻せるよ」
 「じゃ、また行くぜ」続いて使うことになる(この凧がやはり「クセのいい」O会計長の凧であったことは言うまでもないが、その凧がまたも無傷であることに、誰も気づいていなかった)。

 子供凧揚げも無事済まし、一旦昼飯。そして午後の部に突入。

 しかし、どうも体の具合がおかしい。糸枠で凧の様子を眺めていたが、どうも体に力が入らない。午前中の「風事件」以降、風が弱くなってきていて、当組もテギを持ち出したのだが、いつもなら飛び込んで行けるテギの輪の中に飛び込んで行けない。何度かテギの輪の中に入りはしたが、眠たくて仕方がない。

 後で気がついたのだが、どうやら脱水状態で、体がノビていたらしい。
 HO組のN君が声をかけてくれたのも、そのときは覚えていなかった。
 ようやく体調を取り戻し、揚げ付けに参加する。
 見ると、すぐそばに高町HPの「おかめ」氏がいる。何かと思ったら、揚げ付け準備中の某町の骨組みと糸目を調査中、やはり個性のあることで定評のある町は人気もあるね。
 当町も揚げつけ開始、しかし弱い風に乗れず、一旦凧を下ろす。
 しかしこのとき、凧糸がさっきの某町の糸に乗っかってしまった。
 もたもたしていると、「やあ、こっちだって揚げ付け前なんだよ!早く糸をどかせや!この町には青ダスキはいねぇのか!挨拶もなしなのかよ!」一触即発である。うちにも血気盛んな人間がいるので揉め事にはしたくない。とにかく糸をどかすに限る。
 ちょうどうちの町と知り合いのY氏が間に入ってくれて、事なきを得た。
 そんなこんなで5日の凧が終わってしまった。
 陣屋を撤収。切ないひと時である。
 道具を片付け、リヤカーと一緒にAさん宅前に向かう。Aさんが柏餅を差し入れしてくださったのでお茶と一緒に頂きながら、気持ちを入れ替える。
 まだ夜の部が残っている。性を入れにゃ!

 自町に戻ると、もう5時を少々回っている。警備のおっちゃんに止められたが、「住民がこっから100メートルもないような自分ちに戻るだで、練りや屋台には迷惑かけんから!」と言って、通してもらう。
 交通規制の問題は、祭りの肥大化に伴い、今後さらに難しい問題になっていくはずである(あえて「肥大化」と言わせてもらいます。)。

 泣いても笑ってもあと数時間でお祭りは終わり、気持ちを引き締めていきましょう!
 凧も帰ってきており、すぐに施主の家へ持って行く。今年も3日間、いいお祭りにさせていただき、感謝の念を込めて玄関先に凧を飾る。
 ん?そういえば……O会計長の家の初凧を見ると、どこにも傷がない。
 アレだけ散々合戦にも使われた凧なのに、骨の折れた部分はおろか、紙の破れさえないのである。
 「……やっぱりOさの性格が凧に出ているのか?……アレだけ激しい現場を潜り抜けながら、飄々と無傷で返ってくるって……」
 皆さん、凧はお施主さんに似ます。たぶん……

 家に戻り、シャワーでざっと汗を流し、すぐに会所へ。
 「先に飯食っとけよ」との指示で、会所となりのラーメン屋でラーメンをつまみにビールを呑む。
 いよいよ今年最後の夜の部だ。身支度を整え、市役所前へ!
 やはり五月五日の屋台曳き廻しのスタート地点はなんとなく切ないがゆえの華やかさがある。
 でもみんなで元気にやっていかないといけない。それが祭り。それが「凧」。
 町練りは組長補佐。
 一昨年のメガホン事件のこともあり、まず最初に気が行くのはメガホン。大丈夫、練り用の形態メガホンは屋台の押入れにある。メガホンを取ると、施主にも組長にも粗相のないように気持ちを引き締めて組長の隣に立つ。
 さあ、出発だ。
 今日は田町某店の接待がある。その店の前は有楽街各町の屋台や各町の練りがひっきりなしに行き交う、祭りで一番混雑する場所。接待をいただけるのはうれしいが、ここで粗相をすると相手の町やお店だけでなく、この場所での接待を許してくれた田町さんの顔をつぶすことになる。気は抜けない(接待は基本的に自町でやるもの、よその町の店の接待をいただくにはそれなりの挨拶をしておかないといけないのですよ)。
 接待を受けながらも、各町の練が目の前を通っていく、「東田町歩道に上がっててよー」と声をかけ、お互いがぶつからないようにする。
 そろそろ潮時となり、Y副組がメガホンを取って「毎年接待をいただき、ありがとうございます!また◎◎◎◎◎◎に来ようぜ!」と叫び、気勢を上げる。
 なるほど、単に「接待ありがとうございました」とがなるだけじゃないんですね。要はやりよう。


 屋台も近づいてきて、屋台と合流する。最終日のゆりの木通りは露払いのH副組の指揮で蛇行から直線、また蛇行を繰り返し、練り本来の楽しさを存分に味わう。
 もう最終日のゆりの木通りは見物客なんていなくてもいい。
 自分たちと自分たちの町のために祭りができているか。それが大事なんだ。
 観光客のための客寄せパンダではなく、自分たちの町を盛り上げるための祭り。それが本当の祭りだ。
 観光誘致は是としても、ポスターを貼ったりガイドブックを作ったりしたとしても、基本は自分たちのための祭り。
 5日になってようやく屋台を町内周りさせることができ、改めてそう思う。

 だれの浄財で作った屋台なのか?だれの持ち物の屋台なのか?愚問だが、当然「町の皆さん」なのです。
 町のためにおこなう祭り。そうでなければならないのです。


 従兄の初の接待も、自治会の皆さんから頂くお神酒も、「自分たちの町」を大事にする思いがあるから盛り上がれるんです。
 だから僕らは過分なる接待を受ける場に正装で参加していない若い衆をつまみ出して説教もするし、逆に足がくたくたになるまでテギに参加してくれた若い衆には「よくがんばってくれた、ありがとよ」と声をかけたりもするんです。
 町内練の仕上げにみんなで歌う「蛍の光」は、祭りと町を盛り上げてくれた皆さんと、来年も元気のいい祭りをやりましょうという、約束の歌に聞こえました。

結びにかえて

 「浜松の祭りはぶしょったくなった」「浜松の悪影響で」
 などと各地の衆から言われると、半分は余計なお世話だと思いつつも、半分は胸にグサッと来るものがある。
 確かに言われると、凧場も夜も、モラル低下と祭りの美しさの低下を嘆かれる御仁は多い。

 担い手が示すべき「範」それはやはり「凧と屋台と本物の練りをいかに厳格かつ美しく、そして十分に遊び心のある祭りを執行するか」です。
 丈の長い法被は、凧場はもちろん夜の屋台や練りの場だって反則なんです。
 ワッペンを無銭飲食の許可証だと心得ている連中は、祭りには要らないのです。
 大事なのは凧をいかに揚げるか、いかに合戦に強い町となるか。
 屋台をいかに粋に見せるか。町内の人にご披露するか。



 われわれ担い手が、この浜松凧揚祭を誇りに思い、次代にいかに受け継いでいくか。
 皆さんも一緒に考えていきませんか?

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