東地区における住居表示に伴う現町名の廃止について
より良いまちづくりに関する提案ということで、皆さんへの問題提起を兼ねて、このページを立ち上げます。
東地区の皆さんには、既にご存知のことと思いますが、現在、市役所総務部総務課住居表示グループ名で「わかりやすい住所のために 東田町,松江町,馬込町,新町及び八幡町,常盤町,野口町,板屋町の各一部の住居表示について」という回状が関係各町内に回っております(文書名は読点のカンマを含め現文ママ。以下この文書を『住居表示について』と略します)。
この住居表示は「住居表示に関する法律」に基づいて、「入り組んだ町界も道路,鉄道,河川,水路等恒久的な施設で区画して順序よく付けた『街区番号』と建物につけた『住居番号』で新たに表示」するものです。
これだけなら昭和30年代に浜松市内の多くの地域で行われていますが、ここに大きな問題が生じています。
それは何かと言いますと、今回の住居表示の導入は、
これまでも住民によって親しまれ、現在も使われているコミュニティ単位としての町およびその呼称である町名を廃止し、上記の各町をすべて一つの地名に統一する=地名がなくなってしまう
ことを意味するからです。
既に完成されたコミュニティ単位としての町は、果たして「分かりにくくて非効率的で、消滅させるべき」ものなのでしょうか?
問題点1:「皆様の要望」という表記
この「住居表示について」の冒頭には、「市では,現在施工中の東第一・第二土地区画整理事業に伴い皆様(東地区自治会連合会及び東地区まちづくり合同協議会)からいただきました要望書に基づいて」住居表示を実施すると書かれています。
しかし、これに関して各町において、住民間での話題にすらなっていない所が多いと伺っております。斯く言う私にとりましても、今回の件はうすうす「そういうことを言い出す人がいるかもしれない」とは感じてはいたものの、降って湧いたような状況で、まったく事前に聞いてもいない話です。
果たしてこれは「真に『住民からの要望』」なのでしょうか?
過日(平成16年8月9日)、東第二土地区画整理事業等説明会(主催は市都市計画部・区画整理事務所)が東田町の情報センターで行われました。この説明会では「(住居表示をすみやかに実施しないと)次の開発に移れないから」「タイムリミットが迫っているから」また、「自治会からの要望書に基づいて」と言われましたが、しかし、果たして地名を廃止してまで住居表示にこだわる理由がまったく見えてきません。かえって、「各町自治会も『再開発』の美名のもとに町名廃止による住居表示を押し付けられたのでは?」という印象さえ感じられます。まさかそんなことはないのでしょうが……
しかし万が一そうだとすれば、これは住民の真意ではないというだけでなく、自治会の本意ですらない可能性もあるのです。
一体この文書の「皆様」とは誰なのでしょう?
問題点2:自治会と住居表示
上記の説明会において、松江町N氏の質問に対し、区画整理事務所からは「従来の自治会及び各自治会の財産は存続・保全されます。」と言う返答をいただいております。
しかし、自治会と住居表示の二重状態は当然のことながら混乱のもとです。
浜松市内各地において、自治会と住居表示の二重状態で喰い違いが生じている所として、城北・鹿谷・布橋・文丘および和地山の一部(自治会は亀山・東上池川・西上池川・名残・追分)の問題があります。自治会と住民のつながりが完成されていながらそれを分断する形で住居表示を導入した為に、小学校区までも分断された自治会があります。
東校区でここまで複雑な状況にはならないでしょうが、住民の繋がり・付き合いと言う点で言えば、
- 神社の氏子(東田町と新町を除いて、他の町はすべて浜松八幡宮の氏子。自治会境で氏子奉賛金の支出に混乱が生じるのは必至)
- 自治会費の徴収や凧揚祭の参加(たとえば複数の町に跨る店舗が進出した場合、自治会の所属があいまいになり、自治会費の不払い・所属の拒否が出てくるなどから最悪の場合自治会の弱体化→自治会組織の崩壊さえ招きかねません)
- 子供会の所属(上記の城北地区でも「西上池川だから子供会は追分小校区の子と付き合うことが多いはずなのに、住居表示は和地山一丁目だから友達のほとんどは城北小」という現状もあります)
など、今回の形での住居表示の導入は数え上げればいくらでもトラブルを発生させる要因があります。
中央(鍛冶町・田町・千歳・肴町など)のように旧来の地名を存続させたままで、地番変更のみ行う方法や、自治会境の再制定で町名を存続させる方法もあるのに、なぜわざわざ住民のつながりを無視した形での住居表示をするのでしょうか?
この区画整理事業説明会において、問題点の区画整理事務所への質問をされた松江町のN氏の質問状前文をいただきました。N氏にはこの場を借りてお礼申し上げます。
こちらをクリックしてご覧ください。(テキスト形式、ファイルサイズ6KB)。
東田町を含め、東ブロックの町名は、住民の繋がりという現状に即して、遅くとも大正年間に命名された地名です。馬込に至っては江戸中期、もしかしたらそれ以前まで遡れるでしょう。そして大正年間に既に住民の繋がりがあったということはそれ以前、明治初期には住民のつながりが完成していたはずです。大正年間の地籍整理で東田町が誕生する以前から「田町東組」というコミュニティは既に存在しました。「松江は大正時代誕生した」とは言っても、「本馬込町(松江の旧称)」としてのコミュニティは江戸末期には完成していたはずです。
これだけの伝統的なつながりのあるコミュニティのシンボル=「町名」は、われわれ郷土の誇りと言ってもいいでしょう。
今回の町名問題は財産権に関わらないながらも、より良いまちづくり住民という点で、まさに住民の利益に関わる問題であり、今後新たに住居表示がなされる地域にとっても、看過できない大切な問題です。
ぜひ、皆さんで今回の問題を一人ひとりの問題として考えていき、真に「よりよりまちづくり」とは何かをじっくり時間をかけて考えていきませんか?
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