しりとり→リスク
しりとりの最初に「リス!」と言う人は居ても、「リスク・・・」と言うような人はあまりいない。
かわいらしいリスの姿よりも先に「リスク」を思い浮かべるような人は、その時点でかなりリスキー。
しかし敢えてここは、「リスク」。
この「敢えて」の部分もリスクなわけで。そして人生にはたくさんのリスクが潜んでいる。
例えば車に乗る。事故に遭うかも知れない。
例えばご飯を食べる。腐ってるかも知れない。
例えば豆腐。腐ってるわけではない。
・・・と、リスクを気にしていては何もできない。
例えば車に乗る。事故に遭うかも知れない、けど早く着く。
例えばご飯を食べる。腐ってるかも知れない、けどおなか空いてるし、おいしいし。
例えば豆腐。腐ってるわけではない、けどなんで「腐」って書いてあるのか。おいしいのに。
・・・と、リスクと利点は裏腹、紙一重。常にセットなのである。
たいてい、人間の行動はリスクがあるにしても、それを上回るメリットがあるからこそ
成り立つのだが、このバランスが合ってないこともしばしばある。
そんなときこそ思案のしどころ。人間の叡智が試されるときである。
もっとも、リスクを覚悟しつつ前に進もうとする心意気も大切だ。あたらしい世界へ足を
踏み入れるときなど危険があるのをわかっていても、まず動かなければ何も手には入るまい。
しかし、わざわざリスクへ好んで飛び込もうとする人もいる。それはそれで勇ましいことだが、
残念ながらそういう人は長生きしない。
たとえば京都へ旅行に行った場合。
寺院を巡っていると、おなかがすいてきた。
ご存じのように、いくつかの京都の寺院では精進料理を食べることができる。
京都といったらやっぱり精進料理は名物だよね。食べていこうか。
しかし、
「湯豆腐¥5000より」。
・・え? そりゃあ豆腐は好きだけど、5000円? だって豆腐じゃん?
さあどうする?
条件として、ここで5000円使ってしまうと、ロクな晩ご飯は食べられないことにしよう。
やっぱり京都名物湯豆腐を食べなきゃあ京都旅行は始まらないよね、と
夕食は吉野屋で済ませる覚悟で、豆腐と野菜をゆでただけの料理を
5000円払ってでも食べるだろうか。
食べてみたらただの豆腐だった、ということもあり得る。それは恐ろしい。
リスクは、まだまだある。
湯豆腐を完食し友人にその話をした場合、
高額の豆腐料理を食べた事実に対する反応は、「男前!」という羨望のまなざしか
「この豆腐マニアが!」という蔑みの言葉か。
そこにあるのは、まさに二つに一つの危険な賭けなのだ。
リスクをくぐり抜けてなにかを成した者は賞賛を受ける。
だが、リスクをくぐり抜けたにも関わらず、評価されない者もたくさんいる。
そして、リスクを避け安全策を選んだために評価を落とす者もいる。
私は上記の場合、湯豆腐はあきらめて鴨せいろそばを食べる。鴨せいろも安くはないが、
普段親しんでいる豆腐料理が高額なのは納得できないのだ。貧乏性だから。
そして人生に成功したあかつきにはあの高級湯豆腐を食べてやろう、と思いつつ日々を過ごす。
やっぱり豆腐、好きなんである。