ランタン・ヒマ−ル日記

1993・12/22
 三島12:15発の新幹線に乗車し、東京発13:06の成田エクスブレス(急行)
に駆け込み乗車。13:33発特急(全席指定)は海外に出掛ける人が多いのか、満席
で乗れなかった。車内は禁煙、食堂車がなく、千葉に1分停車するが、弁当は買えない。
腹が減って仕方がなかった。車内でグリ−ン券(930円)を買う。成田第一タ−ミナ
ル駅着14:37。北ウィングは工事中で使用されていない。
 4階にある南ウィングのロビ−に行く。ノ−スウェスト21と書いてある窓口でトラ
ベラ−ズチェックを受ける。沢田さん夫婦は1時間程前に到着していて、茶店でコ−ヒ
−を飲んでいた。ロビ−にある三和銀行窓口で、100ドルに両替をしたが11450
円掛かる。
 レストランで食事。やっと腹を満たすことができる。エビヒラフと生ビ−ル(118
5円)を注文するが量が少ないので、ホットドック(400円)を追加する。腹巻用の
パスボ−ト入れ(1800円)と腕時計(1800円)を買う。その後、暇をもてあま
し、茶店でアイスを食べて寛ぐ。夕闇のなかを飛び立つ飛行機をボ−ットしながら眺め
ている。日が沈んだ。16:35、まだ、飛行機に搭乗できない。
 搭乗開始は17:45だった。出国手続きをするために、空港使用料2000円を払
って、ゲ−トへと向かう。混雑していた。出国カ−ドとパスポ−トを提示して査察を受
ける。バスに乗って飛行機のところまで移動する。18:46出発フライトは18:5
9。バンコクまでおよそ6時間。気温30℃だとか。暑いだろうなあ
 現在20:58。遅い夕食が終わる。ビ−フ?チキン?と聞かれて、思わずビ−フと
答える。小さなパックに入ったマカロニ、ケ−キ、ちょと硬めのパン、角張ってぱさぱ
さの肉。そっけない味で口に合わない。これじゃあ当然日本食が恋しくなるわけだと、
つくづく感じた。しかし、赤ワインの後に注文したミルクはおいしかった。これから海
外での生活が始まるというのに大丈夫かな。スチュワ−デスの英語がわからない。困っ
た、困った。
 23:50(バンコク時間)バンコク空港に到着。入国手続きをして、荷物を取りに
行く。入国カ−ドとパスポ−トを提示して入国。荷物を持って入国用紙をわたして税関
を出、両替をする。1万円をだしたら、全てバ−ツに変えられたので、違うといって取
消、2000円を出して、およそ400バ−ツに交換してもらった。空港使用料といっ
て、羽田で出国したときに2000円払ったように、200バ−ツを使うそうだ。出国
ゲ−トの近くのロビ−のベンチに座って休む。シュラフに入って寝るのだか、寝つかれ
ない。寒い。武井さんにハチミツレモンのジュ−スと小袋に入ったポテトチップスを買
ってきてもらう。二人分で96バ−ツ。1バ−ツ4、5円だから、373円。一人18
1円になる。
1993・12/23
 6:00(バンコク時間4:00)に起床。一晩中空港は明かりが灯り、人の流れが
とぎれない。売店では景気のよい音楽を夜中ながし、赤い服を着た女性の店員がうろう
ろしている。朝方、クラシックの音楽がどこからともなく流れはじめ、シュラフから這
い出る。ク−ラ−が効いているので、非常に寒い。昨晩、沢田さんにリコンフォ−ムを
二階にあるAireline officeでやってもらった。帰国時の飛行便を、帰
国72時間以前に確認する手続きだそうだ。
 6:00に朝食。かさかさのコッペパンのホットドック、コ−ヒ−、カステラのよう
なパン。ベ−コン、ハム、目玉焼き、トマト、胡瓜、がのったお皿。全部で230バ−
ツ。空港のレストランで頼んだが、周りを見回しても、こんなに注文した客はいない。
6:30頃あたりが白んできていた。外は曇り。気温26℃。水はボトルで頼むのだと
いう。
 搭乗時間までまだ間があるので、ロビ−をうろうろする。欧米の人がベンチに座わっ
て、ギタ−を弾いている。様々な人種の人がいる。売店で30バ−ツと10バ−ツのガ
ムを買う。ガムの種類は違うが何故かこんなにも値段が違う。簡易飲食店には次のよう
な値段表か掲示してあった。                   
 8:50出国手続きをする。手数料20   ビ−ル(Kloster) 65  
0バ−ツ。荷物19?。ロイヤルネパ−ル   ビ−ル(Singha) 60  
航空会社の受付で行う。ゲ−トで査証を受   サンドウィッチ 45  
けてる。免税店を見て回る。宝石、時計、   ケ−キ 35  
ネックレスなど世界のブランド品が置いて   ドリンクCAN 25  
あるが、客の寄りつきはおもわしくない。   MILK 20  
店員の女性が腕組みしながらつまらなそう   COFEE 15  
に立っている。喉が渇いたのでジュ−スを   MAEKHONG 100  
30バ−ツで買う。ソ−ダ−水といったら   LIPO 20  
甘味のない純粋のソ−ダ−水だった。ゲッブをしながら、無理をして飲む。ガムを噛み
ながら飲んだら、少しは味がした。ごみ箱がない。白い砂をきれいに敷き詰めた煙草の
吸殻いれがある。黄色い服を着た女性がしきりに掃除をしている。昨晩ロビ−のベンチ
で横になって、寝不足のためか瞼が重い。10:50の搭乗を待つ。
 10:50ロイヤルネパ−ル航空の飛行機に搭乗する。ジャンボジェットよりふたま
わり小さくした感じだ。機内に入ると香辛料の匂いが鼻につく。スチュワ−デスは民族
衣装を着ている。17Fという右翼、窓側の座席に座わっていると、スチュワ−デスが
お手拭きを、スズ(どうぞ?)と言ってくれた。
 12:00、機内食が出る。ワインの味がする、モモが乗っているケ−キ、辛味のき
いたチキン、サラダ、赤ワイン、日本人の好みに合うような味付けをしてあるので食が
進む。ワインは断る仕草が悪かったのか、貰うことになってしまう。英語でしっかり断
ろう。入国カ−ドとVisa申請書を配られて記入をする。入国カ−ドはパスポ−トに
貼られないから落とさないように気をつけた方がよいとのこと。隣の席に座っていた男
性は、今回で5回目のネパ−ルだそうで、英語も達者でカ−ド記入の項目を丁寧に教え
てくれ、とても有りがたかった。(経済新聞の記者であることを後に知った)そろそろ
、到着という頃になって、窓から雪をいただいたヒマラヤの山々が長々と連なっている
様子が伺われる。雄大な景色だ。厚い雲を通り抜けて、着陸態勢にはいる。雲が切れて
、突然下の方にカトマンズの大地が現れる。肌色の小さな建物が点々と見える。煤けた
色をした街だ。空港に到着。バスで移動し、ロビ−で円をルピ−に両替する。武井さん
はビザ取得のためにWITHOUT VISA という窓口に並ぶ。4万円を17160
ルピ−に両替。1ルピ−=2,3円 一人8530ルピ−。窓口でFORトレッキング
Little littleルピ−といったら、50ルピ−=100枚、1000ルピ
−=11枚、残り100、20、10といった紙幣に替えてくれた。ビザ取得のために
用紙に写真を貼り、パスポ−トと共に提示。40ドルを払った。
 入国手続きをして、すぐに荷物を受取に行く。なかなか荷物が出て来なかった。現地
の人に持って行かれ、後で運び賃を請求されやしないかと心配したが、やっとベルトコ
ンベヤ−にのった荷物か出てきた。税関を抜けるとき、荷物に白いチョ−クで荷物に1
33という数字を書かれた。空港を出ると、人だかりしていて、中の数人の男が、タク
シ−にのらないか、今晩ここのホテルに泊まらないか、と言い寄ってくる。振り抜けて
うろうろしていると機内でご厄介になった男性に、富士ゲストハウスまで案内する人を
見つけてもらいそのタクシ−に乗り込む。150ルピ−だそうだ。タクシ−の運転手は
片言の日本語を話す。日本車が多く走っている。日本製のバイクも沢山走っている。車
線はあっても無いようなもの。右車線に入って、クラクションを鳴らしながらスピ−ド
をあげ、車の間をすりぬける。道端には崩れかかったレンガ積みの建物が、遠くまで続
いていて、埃を被ったように赤茶けている。日に焼けた人々が裸足で佇んでいる。よれ
よれの服を身に纏い、枯れ草の上に寝ころび、こちらをボ−ッと見ている。黒い大きな
牛が車道をのそのそ歩いている。首輪を付けていない黒い犬か何匹も歩き回っている。
鴨が道端の残飯をつついている。動物と人と車と自転車とオ−トバイが交差し、土が露
になった雑然とした道を通り抜ける。タクシ−は王宮前を通過する。今まで目にした風
景とは違う。門兵が立ち、固く門を閉ざした奥には白い王宮が何百メ−トルも続いてい
る。舗装された道は交差点になり、警察が監視している。信号のない場所を流れに任せ
ながら車は進む。道端の歩道にはじっとうずくまって、手を差し延べている人がいる。
小さな乳飲み子を抱えながら横たわっている人がいる。目にした風景は驚きだった。
 タクシ−はタメル街の入口、イミグレ−ションオフィ−ス前で止まる。2:00を過
ぎていたが、トレッキングパ−ミットを取得出来るかどうか確かめるためだ。入口で、
若い男性が、王宮を建て直す資金を援助してくれませんか。としきりに話し掛けてきて
離れない。オフィ−スは既に営業が終わり、明日10:00からだということ。タメル
街を歩く。雑然とした人の流れ。店先や、路上で物売りが声をやたらとかけて付きまと
う。店先には、色とりどりの土産物が並んでいる。乗り物や人の流れを避けながら、や
っと、お世話になるゲストハウスに到着した。
 私と武井さんの部屋は305号室、沢田さん夫婦は203号室。中は全く飾り気がな
い。ベットが三つもある。背伸びしなければ届かない観音開きの窓が北側に一つある。
壁は白塗りで、使いこなして擦り切れた灰色の絨毯が敷き詰められていて勿論、裸足で
は汚れるので歩きづらい。ロ−ソクたてが一つ足元に置いてある。入口の鍵は錠前がぶ
ら下がっている。入って、奥まったところにシャワ−と洋式トイレの部屋がある。毛布
が二枚それぞれのベットに畳んで置かれていた。なんか寒そだと感じた。
 富士ゲストハウスは、前回、沢田夫婦が、ネパ−ルを訪れたときにお世話になったと
ころで、ご主人はかつて日本に住み、日本人の習慣などを身をもって体験したことがあ
り、奥さんと共に、日本語を上手に話すことができる。トレッキングについていろいろ
な情報を親身になって教えてくれる。十六、七の男の子と、十四、五才の女の子がおり、
二人とも日本語を話し、仕事の手伝いをしている。異国の地で英語が不得手な私達にと
って、とても心強かった。
 しばらく、旅の疲れを癒し、カトマンズとの強烈な出会いに浸りながら、ほんの僅か
だが見聞きした印象を武井さんと語り合う。
 夕方になって、明後日に乗るバスの発着場を捜しに出掛ける。タメル街の北の外れに
あるということなので見当をつけて、街を歩く。相変わらず、呼び込みの声がまとわり
ついてくる。日本語で、「こんにちわ、ちょっと、見るだけね・・」などと言ってくる
人もいる。背後から、現地の弦楽器(サ−リンダという)を奏でなが近づいてきて、3
00ルピ−OK?などと言ってきたので、NO NO と断るがこの男性は、なかなか離
れてくれない。250ルピ−OK?と今度は値を下げてきた。TODAY NO MAN
AY と言ったら、今度は貴方の腕時計と交換しようときた。手を振って断り、終いには
私は無視する攻撃にでた。すると向こうもやっと諦めてくれた。とにかく、呼び込みは
非常にしつこいので、断るのには一苦労する。手編みの色彩豊かなセ−タ−がぶら下が
っている。仏具が並べられている。表情豊かな仏神のお面が飾られている。曼陀羅、銀
細工、絨毯、反物・・・。そうした手作りの工芸品がどの店にもある。本屋に寄って、
トレッキングに必要なランタン地方の地図を1枚99ルピ−で手に入れる。パン屋に入
って朝食用のパンを一人三個と(一個6ルピ−)ボトルに入った水を一本(30ルピ−)
買う。しばらく歩き回って、バス乗り場と思われる開けた所に出る。とても交通量が多
く、ベレ−帽を被り、紺色のふくを着た警察官が交通整理をしている。右に大きくカ−
ブした向こう側にバスが止まっているので近寄ってみるが、バス停の案内はない。どの
バスもぎゅうぎゅう詰めで、屋根の上に人が乗っている。多分、ここにバスが発着する
のだろうと見当をつけ、今度は、キップ売り場を捜す。だが、いくら捜しても見つから
なかったので、ガイドブックにあるネパ−ルのことばで、キップ売り場はどこですかと
人に聞いたところ教えてくれた。何度も素通りしていた店の横にあった沢田さんの奥さ
んが、英語でドンチェまでのキップの値段と、バスの出発時刻を尋ねたところ、7:0
0に出るので、6:30までにここに来るように。小型バスは一人60ルピ−、大型バ
スは70ルピ−だ。バスはドンチェに4:30頃に到着する。キップは朝5:00から
夜6:00まで売っている。とのことであった。キッブは翌日買うことにする。
 アッサシの広場に行き、ミルクティ−を注文する。(4ルピ−)広場の真ん中にはま
わりをマニ車に囲まれた仏塔があり、側で子供たちがビ−玉をしたり、コイン当てをし
て遊んでいた。自転車や三輪車、車、人々が行き交う様子を、ティ−を飲みながら茫然
と眺めていた。何時までも見飽きないこの活気のある風景に暖かさを感じた。沢田さん
の奥さんは、側に寄ってきた一人の女の子に折り紙で紙風船をつくってあげる。すると、
三人ほど女の子が寄ってきて手を出す。折り鶴を作る。嬉しそうな顔をして掌に乗せる。
男が真向かいに座ってわたしの似顔絵を描いて、お金をせびる。人懐っこい人ばかりだ。
 夕食は沢田さんの案内で、ある建物の二階にあるレストランでとることになった食卓
か四つあるこじんまりとした店だ。家族連れの先客が一組だけ食事をしている両親と、
三人の小さな子供たち。地元の家族だ。わたしは、チョウメン(やきそばのようなもの)
ともも(蒸し餃子)を注文した。とても量が多く食べきれなかった調理中に停電になり、
店員がロ−ソクに火を灯した。夜になると、よくこのように停電になるそうだ。二階か
ら通りを見おろす。明かりをつけた車が人を避けながらゆっくりと通り過ぎる。向かい
の住まいでは、ロ−ソクの灯し火を頼りにして、食事の用意を続けている女性がいる。
いつまでも、明かりはつかなかった。店を出て暗い夜道を進む。黒いものが近づいてき
たので避けたら、牛であった。  
 部屋でロ−ソクをつけて休む。シャワ−はお湯が出ない。(翌朝分かったことだが、
扱い方を知らなかっただけで、しっかりとお湯が出た)一日が終わった。  
EPIボンベ一本450ルピ−
 
1993/12/24  
 6:30に起床。カトマンズの朝は寒い。昨晩買ったパンを朝食代わりに食べる甘味
が効いていて美味しい。沢田さんに借りた固形燃料を使ってボトルの水を沸かしてお茶
をつくる。8:00頃に1階にある休憩室に降りる。沢田さんが既に待っていた。バス
はドンチェの村を通り、更に先にある村シャブルベンチまで走っているとのことで、ゲ
ストハウスの主人が、青山トレッキング(トレッキングのガイドを斡旋する専門店)の
人を呼んでくれて、コ−スの様子をわざわざ説明してくれた今日はまず、トレッキング
パ−ミットを取得するために、イミィグレ−ションオフィ−スに出掛ける。受付1時間
前に来たので、王宮付近歩き回わって、時間をつぶす。10:30に受付開始。入口で
用紙を貰って、待合室で必要事項を記入する1:00に発行するということ。トレッキ
ングパ−ミット取得料で490ルピ−。公園維持費650ルピ−かかる。先日、訪れた
バスのチケット売り場に行き、チケットを買う。メモ用紙のようなチケットで4人で3
94ルピ−かかった。昼食をとる。ミックスフライドライス(55ルピ−)ティ−ポッ
ト(18ルピ−)うまかった。1:00トレッキングパ−ミットを貰いに行く。リコン
フォ−ムをするためにロイヤルネパ−ル航空会社に行く。 手続きをしておいたトレッキ
ングパーミットを貰うためにオフィスへもどる。カトマンズ中心街の王宮跡(ハヌマン
ドウカ)にでかけ、4:00頃までうろうろする。王宮の塔に登って座っているとネパー
ルの現地の人が話しかけてくる。ネパールでは仕事がなくて困っている。トレッキングなら
私がガイドをつとめようなど、日本語で話しかけてくる。今、ランタンの山々はおよそ
40センチほどの雪が積もっているとのことである。5:00、富士ゲストハウスに戻る。
飴25ルピー ガム15ルピー6:00に外に出て、翌朝の朝食パンを買う。パン2個
ずつ(15p×2個 6p×2個)ペットボトルの水1本、しめて55ルピーかかる。夕食
はフライドライスとスープ、スプリングロール(75ルピー)を頼む、昨晩と違ってす
ぐに料理ができる。やわらかいスプリングロールでとてもおいしかった。今晩は24日。
クリスマスイブ。カトマンズの夜の街は遅くまで賑やかだ。沢田さんが100ルピーで
しゃれた帽子を買う。買い物を待っていると、黒い上下の服を着た男が近づいてきてハ
ッシッシ、はっぱ買わないかと言い寄ってきた。格好が当地のやくざらしかった。ゲスト
ハウス近くの売店で飴とガムを買う(55ルピー)カトマンズの地図も(20ルピー)明
日からいよいよトレッキングだ。早朝6:00に出発だから5:00には起床しなけれ
ば。ネパール定食30ルピー コーラ10ルピー
1993/12/25
 5:30起床。6:00ゲストハウスを出る。宿泊代は2人で980ルピーであった。6:
30にバスのキップ売場の前でバスを待つが、30分待ったがバスは来ない。しばらく
してから男2人がやって来て案内をしてくれるという。(一人はバスガイドであった)
バスは7:00に出発する。中は満員で屋根に荷物をのせる。1時間ほど走って止まる。
以後チェクポイントを4回通過する。林道のような道を大型バスがスピードを出して走
り、路肩から落ちないかと心配する。目もくらむような高いところを9時間かけて走る。
羊を連れている人。ラジオで音楽を流す人。体をよせあった様々な人がいる。ドンチェ
からはランタン国立公園内に入る。最終チェクポイントなので厳しく、沢田さんがとっ
ていたビデオカメラが没収されそうになる。5:00、やっと終点のシャブルベンチに
到着する。ロブソンチベッタンホテルに宿泊することにする。この宿の女将さの熱心な呼
び込みで決めたやどである。この宿にはオーストラリアからきた女性とニュージーラン
ドからきた女性も泊まることになる。我々と同じコースを通り帰りは、バイガル峠を越
えてカトマンズへと抜けるのだそうだ。2週間のトレッキングらしい。夕飯はエッグフ
ライドライス(22RP)とポテトスープ(20RP)とミルクティー(6RP)を頼む。夜8
:00。部屋は夕食時の煙が充満していて目が痛い。
  ティーのメニュー
 ブラックティー 2RP ミルクティー3RP ブラックコーヒー6RP
 ホットチョコレート10RP ホットレモン5RP 
  スープのメニュー
 ベジタブルスープ 20RP  ポテトスープ20RP エッグスープ25RP  
   ミックススープ 25RP  
   チベタンブレッド 3RP    パンケーキ20RP
1993/12/ 26
 7:30朝食。沢田さんに餅を貰う。帰りのバスは7;00に出るとのこと。6;
30頃ホテルの外は明るくなる。鶏の鳴き声がする。 8:00に宿を出てランタンコ
ーラの左岸を登る。途中で牛や山羊を十数頭連れた女性とすれ違う。カトマンズで買
った地図にはルートが出ていない。高度計で1500メートルの地点で小休止ビスケ
ットを食べ、水を飲む。12:40にはランタンコーラの右岸へ。しばらくすると小
屋がある。ナマステチベタンロッジと書かれている。ここでエッグフライドライス
(22RP)とコーラ(16RP)を注文する。13:30分出発。200メートル登る。ラ
ンタン・リの頂がチラリと見える。16:00ホテルエベレストロッジに到着する。
ラマホテルが見あたらずここに泊まることにする。陽があたる暖かなところだ。寝袋
を干すことにする。高度2850メートル。ホテルの全面に4900メートル前後の
山々見える。 崖の遙かしたからランタンコーラの流れる音がする。3000メートル
近くだというのに動植物が豊富だ。小屋には女将さんと子ども4人がいる。女の子二
人と男の子二人。下の男の子は火傷をしたのか右の頬が赤く腫れている。沢田さん夫
婦はまだ登ってこない。5:00頃来るかもしない。座っていると眠たくなってくる。
冬だというのに本当に暖かなところだ。ホットシャワーが出るそうだ。後で浴びるこ
とにする。6:00夕食。ベジタブルモモ、ベジタブルチョウメン、ベジタブルスー
プを食する。家の中にはおおきな竈をかねたストーブがあり暖をとれる。チベット紛
争があって亡命してヒマヤラを越えてきた男性がこの竈で料理をつくってくれる。シ
ャブルベンジのホテルでは女性が料理をしてくれたし、カトマンズ市内では男達が手
持ち無沙汰で遊んでばかりと思っていたが、男性は真面目に仕事をこなす場面に触れ
た感じがした。
 料理をしここの家族が生活する場とは別に、トレッカーが宿泊する部屋がありベッ
トが4つある。例のラマホテルだが、1日中陽が当たらない所だそうだ。今日は我々
を含めて7人のトレッカーが泊まることになった。現地の地図を沢田さんはもってお
り、とても詳しく載っており、安心できる。明日はランタン谷に入る。6時間はかか
る。上高地にいるようだ。
1993/12/27
 8:30出発する。11:30にはチェクポイントを通過する。高度は3048m。12;1
0には昼食。ベジタブル、エッグスープ(28RP)を食べる。16:00エベレストビュウ
ーホテルに到着。3500m。次第に高度が上がり、高山病の症状か、手足がしびれ、
体が重い。ランタンリルンの高峰が見上げられる。ランタン村の入り口にあったロッ
ジからここまで30分ほどかかった。ヤクが数多く放牧されている。鶏、山羊等の家
畜が放し飼いされている。このロッジは2階建てで見晴らしがいい。女将さんは笑顔
が優しい人で、宿賃はなしとのことだ。高度が高いので、今晩はかなり冷えそうだ。
部屋にはストーブがあり何とか暖をとれそうだ。途中で食べたり飲んだりしたものが
消化されていないのか、腹の調子が悪い。しばらくして頭痛がする。高山病にかかっ
たらしい。夕食にプレーンポテトを頼んだが食欲もなくなりキャンセル。6:30頃
寝る。9:00頃頭痛はどうにかとれる。沢田さん達は4:30ごろ到着。元気で何
よりだ。  
1993/12/28
 6:00に起床する。エッグヌードルスープを食べる。天気は曇り。風が冷たい。1
1:30チベタンホテルに着く。3800メートル以上の高度なので息が切れる。水
を1回飲む毎に10回は肩で息をしなければならない。頭痛はなくなったが、体全体
がだるい。微熱が出ている37℃力が入らない。風邪をひたらしい。宿の寝床に入っ
て寝ていた。宿の人が布団を持ってきてくれた。夕方まで寝ていた。相変わらず力が
出ない。トマトスープとレモンティーを飲む。食欲はあるのだが、食べる気になれない。
 
1993/12/29 
 相変わらず頭が重い。涙が出る。背中も痛い。寝てばかりではいけないので、体を動
かす。早朝出かけた武井さんはまだ帰ってこない。起きて近くのピークを目指す。ゆっ
くり登ればどうにか行けるだろう。鞍部を巻いて頂上を目指す。日射しが暖かいが、風
は冷たい。立ち止まると体が冷える。羽毛服を持ってきてよかった。体調が悪いのをだ
ましだまし登る。やっと頂上に着く。360度のパノラマ世界。雪をいただいた山々が
周りを囲んでいる。山の襞についた氷河が指のようにのびている。4500メートルを
越えている。高度に順応したのかどうにか登ることができた。近くにモリモトピークが
ある。なだらかなピークだから苦労すれば登れるのかもしれない。13:30頃小屋に
戻る。ヌードルスープとレモンティーを飲食する。小屋の入口でマットレスを敷いて日
光浴をする。うとうとしながらくつろぐ。近くに迫った山々の絵を描きながら過ごす。
1993/12/30
 ランシサカルカを目指す。7:00起床 頭痛。長々とした山道を歩く。乾燥した空
気がのどに痛い。微熱があるために体がだるい。川のせせらぎが聞こえてくる。白く濁
た氷河の水だ。ヌバマタンに着く。ランタンリルンガ目の前に聳えている。6370
ートルの岩峰だ。しばらくスケッチする。ここまでだ。同じ道を戻り、チベタンホテ
で静養をとったあと、帰りの準備をする。次第に白い峯峯が遠ざかる。高度が下がる
つれ意識もしっかりしてくる。足取りももとに戻ったような気がする。4:00往路
泊まったヒマラヤンエベレストビューに着く。広場には日本人のツアー客が数多くテ
トを張っている。簡易トイレもある。4:30頃になるとヤクが列を連ねて村人の荷
をもってあがってくる。子ども達が遊び疲れたのか家に戻ってくる。すぐさま家から
ンクをもって水場へと走る。
1993/12/31
 昨夜泊まった宿では、夜中に突然騒がしくなった。8:00頃戸口を打ち鳴らす音。
4〜5人の男性が闖入。寝付いたあとなので、女将さんは眠そうに戸口を開ける。屋外
は冷風が吹き、男達は震えながら暖をとっている。熱い茶を飲みながら楽しそうに談笑
を交わしている。いつの間にか熟睡していた。
 早朝、小屋の人たちと同じ時間に目覚める。
気温は1℃にみたない。ストーブの火は当然消えており、震えながら寝袋から顔を出す。
洗顔するために蛇口をひねったが、凍り付いていて水が出ない。女将さんはストーブに薪
をいれ、火をつけてくれた。ブラックティーを2杯飲む。暖かいチベタンブレットを頼む。
20前後の身長2メートル程の男が目をこすりながら起きてくる。(屋根に頭がぶつかり
そうで前屈みしながら歩いている。昨晩はベットが小さすぎて寝付かれなかったかもしれ
ない。)8:30を過ぎると太陽が出る。周りもそれに合わせて動きだす。山羊が盥に入
れた餌を食べている。早寝早起き。至って健康だ。いろりの周りに集まって家族団らん。
 9:00出発。ふり返りながらランタン村を後にする。小高い丘にある家で、朝食を頼
む。幼子が3人、右手でご飯を食べていた。生後2〜3ヶ月の幼子だ。・・・・・・・。
ヤクと羊の群の中を通り抜け、振り返ると雪を被ったヒマラヤの山々が遠ざかる。上り詰
めた所に小屋がある。ここで、コーラを飲んでいると、途中同行した、ニュージーランド
とオーストラリアの女性が追いついた。標高次第に下がっていく。チェックポイントを経
てただ下るばかりの道だが、頭のふらつきがうすれてくる。ラマホテルでビスケットとブ
ラックティーを飲んで休憩。最後の登りで、エベレストビューホテルに到着する。3:0
0。中学生位の年頃の女の子2人と小学校2年生くらいの男の子2人。ご老人が1人とこ
の小屋の女主人が暖炉を囲んでくつろいでいる。しばらくして、重い荷物を背負った男性
がやってくる。荷物の中身は、トウモロコシだそうだ。翌朝、女の子2人はこの荷物を引
き継いでラマホテル方面へ担いで上っていくのだそうだ。9:00消灯。
1994/1/1
 7:30起床。新年。A happy new year.とニュージーランドとオーストラリアの女性
2人言葉を交わす。朝食はまたもやエッグヌードルスープとブラックティー。おもちを焼
いて雑煮といきたいところだが・・。女性2人とは途中で別れる。シャッブルへ向かうの
だそうだ。9:00出発し、ひたすら下る。14:00、ついに、シャブルベンジ到着。
 ここでは大きな村だ。子供たちが段ボールに乗って、引っ張られながら遊んでいる。日
本語の数字を熱心に覚えようとしている若い男の子が食堂でランチを作ってくれた。しか
も帰りのバスのチケットを用意してくれた。この子のいるホテルに泊まることにする。
 3:30頃、トラックがやってくる。食料を沢山積んでいる。村人があつまり、様子を
見ている。荷物は、目の前にある宿泊費が高そうなホテルの中に運ばれる。トラックが走
りだすと、子供たちがのりこみ楽しんでいる。大人たちが下ろそうとするが、また子供た
ちは乗り込もうとする。どこにいたのか、とても子供たちの数が多い。
 シャブルベンジはバスの終着で、今後開拓される場所らしい。崖の向こうに点在する家
は石積みの家が多く、身なりも現地の衣装の人がいるが、ここの住は西洋風の服を着てい
て、新しく立てたばかりの建物が多い。
 さきほのど男の子と話をする。歳は14才でドゥンチェの学校に通っているという。今
は長期休暇で1月ほど休校なのだそうだ。兄2人がいて、1人はラマ教のお坊さんになる
ための修行を積んでいる。Nepalの新年は4月1日。この日になると人々は新年を祝い踊
るのだという。彼はマフラーをつけ、ダンスをしてその時の踊りを踊ってくれた。とても
剽軽で調子がいい。しばらくすると、肉、肉・・・話しかけてきた。羊を殺す所を見せて
くれるのかと思ってついていくと、近所で今殺したばかりの羊の肉を買ってきた。フライ
にするから食べろと言う。6:00夕食。山行の無事を祝して乾杯というところか。久し
ぶりのアルコールで少し酔った。羊料理は、辛みがきいていておいしかった。また、彼の
家の夕食に出たらしい、ダルハットも頂いた。将来、日本語を学びたとのことだ。若いな
がらまとてもしっかりしている。生活がかかっているので必死なのだ。
1994/1/2
 突然、部屋をたたく音。ストリートバスという声。5:30。7:00までにはまだ時
間があるのにと思いながら、荷造りをする。6:30バスの警笛の音。7:00出発。崖
づたいの恐ろしい道を行く。4:00カトゥマンズのバスターミナルに到着。三輪タクシ
ーを拾ってタメルのカトゥマンズホテルへ。泊25ドル。明日は市内観光だ。
1994/1/3
 自転車を借りて市内を回る。猿寺は長い階段を上った先にある。猿や鳩が沢山いる。見
晴らしがよく見渡せる。博物館に入る。Nepalの生態系がわかるような展示がされている。
剥製の動物がかざれているが、見学者はおらず、薄暗かった。Linkロードにでて走る。あ
げパン屋が何軒かあり、いい匂いがした。自転車のペダルの調子がよくなく、ついに脱落
してしまった。近くの自転車屋に入っみたが、ネジにあった工具がないのでなおせないと
いう。仕方なくゆるゆるのペダルのままで走ることにする。pattern市内に入る。再び自
転車屋。工具があるということで修理。2rupeeを払う。pattern市内では日本語が話せ
るという青年にバザール広場への道のりを教えてもらう。12:00寺院を見て回り食事
にする。カフェpatternという店。スプリングロールを2皿頼む。大きな春巻きというと
ころだ。店内で流れていたNepal音楽に興味がわき、CDを2枚買う。店を出ると、日本語
学校で学んでいるという少年が話し かけてくる。寺院と民芸品の説明をしてくれる。タン
カを買う。60ドル。3:30ホテルに戻る。夕食はNepalキッチンという店。モモ、バリ
・・とNepal料理を沢山。アルコールも沢山。
1994/1/4
 7:00起床。ホテル内のレストランで食事。日本食にする。みそ汁のみそはメイドイ
ンNepalだそうだ。バドゥガホンまでタクシーで出掛ける。目玉寺と言われる寺院だ。ラ
マ僧が修行をしている。境内は仏塔を中心にしてぐるりとお店が囲んでいる。仏塔にのる
と遠くに雪をいだいたヒマラヤの山が見える。カシミヤのマフラーと楽器を買う。 
 ヒンドゥー教徒の聖地は向かう。境内で沢田さん夫婦と会う。火葬をしている。昔から
の時間そのままだ。
 カトゥマンズの中心に戻る。広場前の喫茶店で、ミルクティーを飲みながら街の様子を
眺める。今日でNepalはお仕舞いだ。多くの人との出会いがあった。人々の生活様子は驚
きの連続だ。貧しいなかでも人々は明るく生きている。けっして卑屈にならず、活気にみ
ちている。外見だけではない優しさがある。一日一日、命をかけて生活をしている。ダル
バール広場で出会った男性の言葉が心に残っている。「お金を持っていても、体が悪けれ
ば何にもならない。私は元気でいられる体を持ち続けたい。」
 6:00ホテル富士へ戻る。Nepalキッチンで食事。10:30消灯。
1994/1/5
6:30起床。タクシーで空港へ。RA407便。9:30フライト。
 

                
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